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一切れのパン/最後の一葉@教科書の思い出

『一切れのパン』と『最後の一葉』:教科書の思い出
01最後の一葉

宮沢賢治の『やまなし』など、「どうしてこれが教科書に採用されたのか?」と不思議に感じる昨今。そもそも教科書へ収載する作品の選定基準がよくわからない。本来、(童話を含む)小説は「楽しく読む」べきものだと思うのだが、僕は教科書で読んだ小説を楽しいと感じたことがほとんどない。これは作品が面白くなかったというより、「勉学のまな板の上で調理されること」に抵抗感があったためだろう。授業で取り上げられる作品には「教材となった意義付けを忖度する」読み方が求められているような気がして、窮屈な印象があった。
しかし、そんな僕にも、教科書に取り上げられていながら(?)「面白い!」と感銘を受けた小説が2つある。F・ムンテヤーヌの『一切れのパン』とO・ヘンリーによる『最後の一葉』である。

『一切れのパン』@国語教科書の思い出
『一切れのパン』は中学生時代に国語の教科書で読んだ記憶がある。卒業後、同級生との間でこの作品が話題になったこともある。僕も級友も、タイトルや感銘を受けた内容──最後のセリフなどは覚えていたが、僕は作者が誰だか失念していた。友人はO・ヘンリーの作品だと思っていたようだ。その頃はまだインターネットもなく手軽に検索で確かめることができなかったので、本屋でO・ヘンリーの短編集を手にとり、目次を探して「ないなぁ……」と首をかしげていたこともあった。作者がフランチスク・ムンテヤーヌというルーマニアの作家だったと知ったのはだいぶ後になってからだ。

記憶の中のあらすじをざっと記すと──、
戦時下で、敵国軍に捕えられた主人公が、貨物列車から脱走して飢えと闘いながら自宅に帰り着くまでの話で、主人公は脱走する時にラビという老人からハンカチに包まれた《一切れのパン》を渡される。そのとき、「パンを一切れ持っている」という思いが飢えと闘う勇気となるから、パンはすぐに食べずに持っていることが大切だ・誘惑に負けないようにハンカチに包んだまま持っているようにと諭される。
主人公は飢えと闘いながら、危ういところでラビの忠告を守り、なんとか家に帰りつくことができる。主人公を支えた一切れのパン──しかしハンカチから出て来たのは一片の木切れだった──予想もしなかったラスト・シーンで主人公の口から漏れた「ありがとう、ラビ」の言葉が強く印象に残っている。
ラビからもらった一切れのパンの存在が主人公を支え、帰還をかなえる命綱となったわけだが、そんなパンなど、最初から存在していなかった──パンではなくラビの知恵が主人公を支え、救ったのだという意外性が衝撃的だった。

『最後の一葉』は《よい話(美談)》ではなく《皮肉な話》
『最後の一葉』の方は、確か英語の教科書に載っていたように思う。僕は英語が(も)苦手で、予習も全くしなかったから、授業中に少しずつ明らかになる内容で結末に至るまで、かなり時間をかけて小出しに知っていった気がする。
『一切れのパン』の方は【国語】の教科書に載っていたので(日本語で書かれていたので)、自力で読み進むことができ、ラストのあざやかな意外性に感銘を受けることができたが、『最後の一葉』は内容を細切れに知っていったので、当初あまり関心が持てなかった。ようやくオチの部分にたどりついたところで、「あれ? この作品、おもしろいぞ!」と、やっと気がついた。その後、O・ヘンリーの短編集を買って(日本語訳で)『最後の一葉』を読み直した記憶がある。英語の教科書によってこの傑作に出会えた──という形ではあるけれど、最初から翻訳作品に出会えていれば──全体を通して読んでいれば、第一印象の感銘はもっと大きかったろうに──と残念に思ったものである。

おそらく多くの人が知っているだろうが、『最後の一葉』の概要を記すと──、
共同でアトリエを借りているスーのルームメイト=ジョンジー(ジョアンナ)は重い肺炎を患い、医師から「生きる気力」の有無が生死を分けると言われる。しかし疲弊したジョンジーは、窓から見える壁にはったツタの葉が落ちるようすを眺めているうちに、すべての葉が落ちた時に自分の命も尽きるのだと思い込んでしまう。《葉が全て落ちたとき=ジョンジーの死》という《幻想》にとりつかれた彼女のことを知った階下の老画家くずれ=ベアマンは、バカげた想像だとののしるが、ジョンジーの思い込みを逆手にとって《落葉を阻止する(ツタがはう壁にダミーの葉を描く)》ことで《ジョンジーの死を阻止する》ことを企てる──この意表を突いた着想が素晴らしい。そしてベアマンの思惑通り、ジョンジーは持ち直す。
『一切れのパン』では現実には存在しない一切れのパン(ラビの嘘が)主人公を救ったが、『最後の一葉』では現実には残っていなかった最後の一葉(ベアマンが描いた絵)がジョンジーを救うことになった──《虚構が現実を動かす力になる》といったところに共通の面白さを感じる。
『最後の一葉』の場合は、ジョンジーのネガティブな《幻想(思い込み)》を利用して、逆にポジティプな《現実化》をはかるという工夫がおもしろい。更に──「狙いどおりにジョンジーの運命を変える工作に成功したベアマンだったが、彼自身が予想外の肺炎にかかって死ぬことになる」という《意外性》がダメを押す。運命のある局面を都合良く改変することができたとしても別の局面でツケが回ってくる──そんな《皮肉》を感じさせる《作者のたくらみ》に深い味わいを感じる。
この作品の素晴らしいところは、ジョンジーの命を救った最後の一葉が、実はベアマンが描いた絵であり、雨の中でこれを描いたベアマンが肺炎にかかって死んだことがラスト・シーンで一気に読者に明かされるというみごとな構成にある。鮮やかな幕切れが強い余韻となって読者に感銘を与える。

この作品を何年生の時の教科書で知ったのか、確かめてみようと思って検索してみたが、わからなかった。いくつかのサイトを閲覧していて知ったのだが、『最後の一葉』は小学校の道徳教科書にも収載されていたらしい。そして、この作品について《自己犠牲を描いた作品》という評価があることに驚いた。どうやら《老画家の自己犠牲が若い女性の命を救った話》だとか《長い間世間に認められる絵を描くことができなかった老画家(ベアマン)が、無欲に1人の女性を救うために描いたことで、人生の最後にして最高傑作の絵を描くことができた》というような《美談》として読んだ人も多かったようだ。言われてみれば確かに「そういう解釈」もできなくはないのかもしれないし、どう感じるかは読者の勝手なわけだが……僕がうけた感銘からすれば「作品のおもしろさ(作品の趣旨・趣向)」はそこではないだろう」ということになる。この作品の面白さは《意外性》にあって、《運命の皮肉》を描いた作品だと僕は感じた。『最後の一葉』の本質は《美談(よい話)》ではなく《皮肉な話》である。作品の構造上、O・ヘンリーも、それを意図して書いたのだと思う。

『最後の一葉』の改変版!?
『最後の一葉』の最大の見せ場は、真相が一気に明らかになるラスト・シーン──スーがジョンジーに真相を語る場面で、そこで読者も真相を知らされ、あっと驚くことになるわけだが……ところが、この結末に不満を感じた人もいるらしい。
「スーがジョンジーにわざわざ真相を打ち明ける必要はなかった。知らされたジョンジーには、自分の身代わりになって死んだベアマンのことが生涯の重荷となる」という複雑な思いにとらわれた人もいたようだ。しかしこれは、この作品を《美談》としてとらえている(とらえようとしている)からから生じる「割り切れなさ」だろう。スーが打ち明けようが打ち明けまいが、やがてジョンジーにも(風にも揺れずいつまでも形を変えない)不自然な葉がダミーであることはわかるはずで、階下の老画家がどのような状況で肺炎にかかったのか、耳に入らぬはずはない。ジョンジーが真相を知らずにすむという《きれいごと》の結末は不自然であり不合理なのだ。作品としては、《スーがジョンジーに語ることで読者に真相を、一番インパクトのあるタイミングで明かす》ラストシーンは必然にして、この上ないものである。この作品を《美談》という解釈ではなく、《皮肉》を描いた作品であるととらえれば、きれいに割り切れる、理にかなったみごとな結末といえる。

しかし、実際にこの作品を《美談》として偏向的解釈をしたがる人は多いのかもしれない。絶妙のラストシーンを《きれいごと》──「ジョンジーの身代わりとなってベアマンが死んだこと」をスーがジョンジーに告げない結末に改変した出版物も存在する。PHP文庫の『まんがで蘇るO・ヘンリー傑作選』(監修:齋藤 孝/『最後の一葉』を描いた漫画家は工藤ケン)がそれだ。
改変版マンガのラスト・シーンは、スーの《真相は自分だけの秘密として胸にしまっておく(ジョンジーには隠しておく)》という主旨のモノローグで終わっている。このよけいな「配慮」を持ち込んだおかげで、最大の見せ場であるはずのラスト・シーンの意外性・インパクト・切れは鈍り、効果抜群の余韻に水をさした格好である。
また、ラストシーンに「配慮」を持ってくるために、真相(ベアマンが雨の中で壁に葉を描いていたこと)を前倒しして(?)事前に読者にバラしてしまうという愚行もおかしている。
しかも前述した通り、元気になったジョンジーが真相に気づかぬはずはなく、「スーだけの秘密としておく」という結末は成立しない。改変マンガは、緻密な計算で構築された原作小説を《きれいごと》でまとめようとして台無しにした感がある。そこまで無理して、どうして《美談》にしたがるのだろうか?
小説を読んで、誰がどう感じるかは、その人の自由だ。しかし、それぞれ解釈・感じ方がすべて正しいということにはならない。妥当な評価ばかりでなく、的外れであったり不合理な解釈もけっして少なくない。

『最後の一葉』が小学校の道徳の教科書にも採用されていたと知って、ちょっと気になることがある。この作品が偏向した解釈で選定され、子どもたちにも的外れな解釈をミスリードするような指導が行われているのではないか……という危惧である。
『最後の一葉』が小学道徳の教科書に採用されたのは《自己犠牲の尊さをうったえた美談》という意義付け(解釈)があったのではあるまいか?
そう考えると、《自己犠牲の精神を標榜する作家》である宮沢賢治の作品が教科書に多く採用されている傾向と、同じ軌道上にあるようにも思われる。
小説が教科書に載り、授業でとりあつかわれることになると、生徒は(先生も?)そこに道徳的意義付けをみいだそうとして「忖度する読書」をすることになり、《美談》にミスリードされがちになるのではないか……そんなことがあれば、作品の真の価値を見誤ることになる。
教科書へ収載する小説の選定をする人、現場で子どもたちを指導する教師が、本当に作品の本質を理解しているのか、気になるところである。


なじめなかった『よだかの星』
宮沢賢治『やまなし』とクラムボン
宮沢賢治『どんぐりと山ねこ』感想


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夢の中から電話で自分を起こした話

先日[エッセイ・雑記]のカテゴリーで投稿した【夢の中から電話!?】を小説版(ショートショート)として書き直してみたもの。

01夢から電話SS01
02夢から電話SS02
03夢から電話SS03
04夢から電話SS04
05夢から電話SS05
06夢から電話SS06
07夢から電話SS07
08夢から電話SS08
09夢から電話SS09

夢の中から電話!?(エッセイ版)


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同人誌回顧録(freemlから)

Yahoo!ブログと前後してfreemlもサービス終了
先日(2019年12月15日)、10年ほど利用していたYahoo!ブログがサービスを終了した。これと前後してYahoo!ブログ以前に利用していたfreemlもまた、今月(2019年12月2日)でサービスを終了している。Yahoo!ブログ時代の記事はFC2ブログに移行済みだが、freemlの記事はそのまま消滅した。活かしておきたいと思う内容はYahoo!ブログの方に投稿し直しているので、freeml消滅についてはあまり気にしていなかった。公開の場から消滅はしたが、投稿時の文書は保存してある。しかし改めて振り返ってみると、懐かしいものもあって、記事として残しておいてもいいかなと思えるものもあったりする。
前置きが長くなったが、今回はそんなfreemlの中から、同人誌・個人誌を作っていた頃の覚書を再掲載してみる。おそらく2009年1月に投稿したものだったはずだ。freemlでは6回に分けて投稿していた記事(文章)を一挙掲載。


①同人誌の頃〜回顧録〜
②《漁人》《むい》の頃〜はじめての同人誌・ガリ版印刷篇〜
③《窓》の頃〜初めての主宰同人誌・軽オフセット印刷篇〜
④《アルファ》の頃〜児童文芸研究会〜
⑤《MON48》の頃〜光瀬教室〜大衆文芸の書き方〜
⑥《チャンネルF》の頃〜ワープロの登場〜コピー誌(紙)篇〜

①同人誌の頃〜回顧録〜
今はこうして自分のタイプした文を活字表記でき、多くの人に見てもらえる場に気軽にアップする事ができるが、昔は自分の書いた文章が活字になるということも、多くの人に読まれる機会を得るということも容易には叶わなかった。だから、趣味で文芸作品を書く人は、「活字化」や「発表の場」に憧れる。そこで【自費出版】や【同人誌】を考えるわけである。
僕が作品を書き始めた頃も、やがては自費出版をしてみたいという夢を抱いていた(商業出版は到底無理だと思っていた)。実際に書きかけの長編童話の原稿を持って印刷所をめぐり、冊子の体裁にするのにとれだけ予算が必要か見積もりを立ててもらったこともある。ワープロなど無い時代だから、活字を組むだけでかなり金額がかかる。学生だった僕にはちょっと手が届かなかった。
単独での【自費出版】は難しい……。そこで【同人誌】を考えた。多くの人で制作費を分担すれば、個人の負担は軽くなるはずだ。また、同じような志を持った人たちが、何を考え、どういう作品を書いているのかにも興味があった。
そうして踏み出した同人誌だったが──もう古い話になってしまった。
忘却の彼方となってしまう前に回顧録として記しておく次第。


②《漁人》《むい》の頃〜はじめての同人誌・ガリ版印刷篇〜
01漁人むい
当時投稿作品を多く載せていた『詩とメルヘン』(サンリオ)という雑誌があった。この読者投稿欄(1976年3月号)に「同人誌を一緒につくりませんか」という呼びかけが載っているのを見つけ、これに応募してみたのが高2〜高3になる春。同人誌に参加するのは初めてだった。
この呼びかけには全国からたくさんの参加があったらしい。しかし呼びかけた主宰者が、なんとしたことか活動不能の事態となってしまい、初めての同人誌活動はスタートからつまずくことになる……。
せっかく多くの人たちが集まったのに何もせずに解散してしまうのは惜しい……そう感じた人たちの中から有志が立ち上がり、同人会としての運営を継続する事になる。僕も初参加で何も判らないまま、いきなり運営スタッフとしてお手伝いする事になった。スタッフ間で密に連絡を取り合い、何度も会合を設け、とりあえず創刊号を出す──それを当面の目標に同人誌活動はスタートした。

同人誌名は《漁人(すなどりびと)》と決まり、実現可能な方法として、創刊号(1976年)はガリ版印刷で出す事になった。
「ガリ版(謄写版)」はかつて学校のプリント等で普通に使われていたが、国内ではもはや絶滅状態!? その存在を知らない人も増えたことだろうから簡単に原理を説明しておく。
インクがしみないように表面加工されたロウ原紙(これが原版になる)をヤスリ板の上に置き、鉄筆と呼ばれる先端が尖ったペンで字や絵を描く。すると鉄筆で描いた部分のコーティングが削られ、この部分をインクが通過できるようになる。
このロウ原紙をネット付きの枠に貼付け、ロウ原紙の下に紙をセット。そしてロウ原紙(を貼ったネット)の上でインクをつけたローラーを転がす。インクはロウ原紙の表面全体に広がるが、コーティングされた部分ではインクを通さず、鉄筆でひっかいた部分からのみインクがしみて下の紙に印刷されるという仕組みである。発明者はトーマス・エジソンだそうだ。印刷の種類としては、プリントゴッコやシルクスクリーン印刷などと同じ孔版印刷と呼ばれるものである。

さてスタッフは同人会員から原稿を集め、手分けして原紙を切った。当然手書きで1文字1文字書いていくわけである。「活字化」の夢は先に伸びたが、「発表の場」を実現できるのは嬉しい。僕らは労力をいとわず創刊号の実現めざして頑張った。当時は、ヤスリ板&鉄筆不要の「ポールペン原紙(ボールペンで書ける)」なる便利なものがでていたので、これを使用したのが、それでもそれなりの労力と時間を要した。
手軽に安価でできるのがガリ版印刷の利点だが、キレイに印刷する為には原紙を切るさいにいくらかの技術を要する。筆圧が弱ければ原紙のコーティングが充分削られず、印刷がかすれてしまう。逆に強すぎると原紙そのものに穴をあけてしまい、インクが必要以上にもれて紙を汚してしまうことになる。このあたりの加減が経験の無い人には難しい。
せっかく切ってもらった原紙が印刷時点で不充分だった事(印刷した文字がかすれて読めない)が発覚し、やり直しになったページもあったように記憶している。

そうした皆の努力で、なんとか自分たちの同人誌を作る事には成功した。
が、出来上がった創刊号は、レイアウトはボロボロ(詩が見開きに収まらず、ページをまたいでしまったり)、落丁があったりなど、苦労をした割には失態も目立つものだった。制作にタッチしていないメンバー──作品だけ提出してステキな同人誌が仕上がってくるのを楽しみにしていた人たちにしてみれば、ちょっと(かなり?)ガッカリだったかもしれない……。
同人誌のできとしては──冊子の体裁も、発表した自分の作品も今ひとつだった感は否めないが、僕としては同人誌活動に<参加>したことで感じたり考えたりできたた事も多く、その意味においては意義深かったし、ある意味充実していた。
この時期の試行錯誤や反省は、その後の同人誌活動や創作活動にとって、そして大げさに聞こえるかも知れないが人生にとっても影響を与えたといっても過言ではない。

創刊号が完成した後、合評会のようなものがあったが、内容はあまり覚えていない。あまり噛み合なかったのではなかったか……という印象がある。
同人誌の方向性が決まらずに人が集まってきたので、作品のジャンルや傾向がバラバラだったこと、自分で書くのは好きだけど、批評したりされたりすることに馴れていない人・関心が薄い人が多かった気がする。
一方「詩を書くことに生命を懸けている」と豪語する会員もいて、喫茶店でテーブルを叩いて激高されたこともあった。彼にとって詩は神聖なもので、「お遊び」程度に考えてもらっては困る──みたいな事を言っていたように思う。きっと求めていた同人誌はもっと崇高なものだったのだろう。彼は捨て台詞を吐いて去って行った。

僕自身は創作のなんたるかが全く判っていない頃で、しかしながらこの時期、よく友人(小説版ミラクル☆スターの悪島)のプレハブ部屋に泊まり込み、徹夜で作品について語り合ったりしていた。自分が温めいてる作品の構想だとか、好きな作品のどういった点が良かったなど、飽きる事無く話していた。
「<描写>と<説明>の違いは<風景画>と<地図>のようなもの」みたいな話を夢中になってしていた記憶がある。
当時僕が目指していたのはファンタジー──いわゆる(?)空想物語(現実次元の物語に対して)だったが、《漁人》のメンバーの中にはやはり非現実の起こる空想物語を描くメンバーが何人かいた。
自分ひとりで描いていたときはファンタジーとは何か?──などと深く考えた事はなかったが、同じ空想物語を描く人たちが現れたことで「僕の描こうとしてるものとは、また違う」ことに気づき、他者の描くものとの違いを考えることで、自分の目指すものを自覚するようになった部分もあった。

「例えば、主人公の目の前にオオカミが飛び出してきて、
 『お前を食べちゃうぞ!』と言った時──、
 主人公がまず《オオカミがしゃべる》点に驚くのが(狭義の)ファンタジー、
 《オオカミに食べられる》こと(のみ)に反応するのが(広義の)メルヘン」

ざっくりした例えだが、そんな見方もできるのではないかなどと考えたりするようになったのもこの頃だった。同人誌づくりにしても作品づくりにしても、それまで意識することがなった視点を発見し、考える事に目覚めた時期でもあった。

《漁人》は創刊号を出した後、幽霊会員(?)が淘汰されて少しスリムになったこと、スタッフたちも創刊号の経験値を得たことで、第2号はだいぶ洗練された感じのものとなった。第2号もガリ版印刷ではあったが、印刷機がプリントゴッコ式に1枚1枚手作業で刷っていた創刊号と違い、輪転機になった(借りもの)という画期的な進歩があった。輪転機の作業効率の向上度には一同驚愕したものである。「これぞ文明の利器!」──そんな実感があった。

そして《漁人》3号では、ついにタイプ印刷となり、初めて「活字化」が実現したのである。
形の上では、軌道に乗ってきたようにもみえる《漁人》だったが、会の運営をめぐっては、当初の(雑誌で仲間を募った)主宰者とは別のグループが運営することになったがための「今ひとつスッキリしない部分」が尾を引いていた。そして、けじめをつけるために《漁人》を一度きちんと解散し、有志によって新たな同人誌を再結成しようという動きになる。
《漁人》は3号を出した後に解散。そして同じスタッフによって新たに《むい》という同人誌が立ち上げられた。僕も引き続き《むい》に参加し、童話(ファンタジー)を書き、創刊号の表紙を描かせてもらったりした。

《漁人》の時代だったか、あるいは《むい》へ移行してからだったか……正確な時期はハッキリ思い出せないのだが……この頃の同人誌メンバーの一人・Oさんの部屋にスタッフらが泊まり込んだ事があった。同人誌発行の打ち上げか、新年会・忘年会だったかもしれない。この時、《ますむら ひろし漫画》との運命的な(?)再会があった。
Oさんの部屋で見つけたハードカバー本。何気なく手にとり開いてみたら漫画だったのでちょっと驚いた──というのが第一印象だった。漫画と言えばペーパーバックのイメージがあったので意外だったわけだが……それが『アタゴオルは猫の森』の愛蔵版だった。その不思議な世界に魅かれて、皆が寝てしまった後、朝まで一睡もせず一気に読んだ記憶がある──言わずと知れたますむらひろしさんの名作である。
僕は中学時代にも、ますむらさんの漫画──デビュー作の『霧にむせぶ夜』(第5回手塚賞・準入選)を読んで強烈な衝撃を受けている。当時マンガのまねごとをしていた時期もあったのだが……『霧にむせぶ夜』を読んで、こんな人たちがしのぎを削っている漫画の世界には、とても自分が入り込める余地などない、努力したところで到底太刀打ちできっこない──と漫画心(?)が萎えてしまうほどの圧倒的なインパクトを受けていた。その後僕の創作活動は漫画から文芸へと方向転換をすることになる。
そして方向転回した文芸の同人誌活動をしている中で、再びますむら作品と出会い、朝まで読まされてしまうことになるとは……、後になってふり返ってみると奇妙な縁を感じる。というのも、この後、僕が同人誌(《窓》第2号/1979年)に書いた作品が出版され、そのデビュー作単行本の挿絵をますむらさんに描いていただく事になるからなのだが……もちろん、『アタゴオルは猫の森』を夢中になって読んでいた時には、そんな展開など夢にも思っていなかった。

さて、再生した同人誌《むい》の活動だが──2号の前後で僕は退会を決断。
いくつかの同人誌を出してきたが、その総括というか──発表した作品についての合評会がいまひとつ盛り上がらず、雑談に流れれ、不完全燃焼に終わることが原因だった。せっかく同人誌を作ったのに、発表した作品についての総括が無いのは気持ち悪い──個人的にはそうした気持ちが強かった。書き手は作品を完成させる迄の間、色々試行錯誤を繰り返し、何度も練り直しているので、自分の作品について第一印象が持てない。自分の描いた作品が他者にどう読まれたのか、どんな印象を持たれたのかは興味のあるところである。また、他の人がそれぞれの作品について、どういう意図で描き、どんな苦労や工夫があって「そのような作品にたどり着いたのか」などについても知っておきたい。自分の創作活動に還元できるヒントがあるかもしれないからだ。そうした互いの作品や創作姿勢に対する活発な意見交換があってこそ、同人誌を出す意義があるのではないか──そんな気持ちもあったのだ。
しかしながら、書き手の中には互いの作品を批評し合うことに関しては熱心でない人もいる。
「作品は、自分が楽しいと思ったものを楽しんで書く──それでいい」「他人の批評にはあまり興味が無い」そういった空気を感じ、《むい》で合評を充実させたいと望むのは僕の独り相撲のような気がしてきて、未練を感じながらもここを去ることにしたのだった。

陳腐な言い方だが、同人誌活動は僕にとって青春だったのだと思う。《漁人》はその出発点であったこともあり、特別な思いもある。当時のメンバーの幾人かとは現在も年賀状のやりとりをしているのだが……ふり返ってみると『詩とメルヘン』にあの同人誌の呼びかけが載っていなかったら、僕らは知り合う事もなかったはずで……そう考えると縁というのは不思議なものだなぁと実感する。


③《窓》の頃〜初めての主宰同人誌・軽オフセット印刷篇〜
02窓2号
《むい》は退会したが、同人誌活動に飽きて辞めたわけではない。自分なりの納得のいく同人誌が作りたいという思いは持ち続けていた。そこで軽オフセット印刷機と製版機を買い込んで、同人誌を主宰することにした。
簡単に印刷のしくみを紹介すると──、
版下原稿を特殊なフィルムに密着させ、強い光で焼き付けたものを紙のような原版に転写。すると原版に水をはじく部分(原稿の黒い部分)と、水分が乗る部分(原稿の白い部分)ができる。この原版を印刷機にセットし湿し水を塗布すると、印刷時に余白となる部分には水が乗り、印刷部では水がはじかれる。そこに油性のインクが供給されると、水がのった部分(余白部分)ではインクははじかれ、水がない部分(印刷部分)にのみインクが乗る。原版に乗ったインクはブランケットと呼ばれるゴムのドラムに転写され、それがさらに紙に転写される仕組みである。
版と紙が直接触れず、一度ブランケットに転写させる工程があることでオフセット印刷と呼ばれるらしい。

冊子の形体は手描きの原稿から原版を起こす形(手書き文字&イラスト)をとったが、版下となる原稿は普通の紙に普通のペンで描けるので、ガリ版印刷(原紙に鉄筆で描く)に比べればキレイに仕上がる。
同人誌名は《窓》とした。ファンタジーやメルヘン系の童話を想定していたので、非日常の風景がのぞける窓/(同人誌は)内なる世界と外の世界をつなぐ枠──そんなイメージがあった。
この同人誌は童話・児童文学に限定するつもりでいた。ジャンルを限定しなかった《漁人》で、趣味が違いすぎる人たちか集まると話が噛み合ないという教訓を得ていたからだ。互いに相手の作品に興味が持てるような人たちで同人誌メンバーは構成すべきだと考えたわけである。
さらに同人誌を立ち上げるにあたって、まず方向性をまず打ち出しておくのがいいだろうと考え、創刊号の前に、創刊準備号として「ふたば号」なるものを作った。僕の掌篇と《漁人》スタッフでメルヘン系ファンタジーを描いていたKさん、Hさんのゲスト作品で構成した。
本文は2段組だったが、巻末には「作者の窓」なる3段組のあとがきページを設けた。ここでは収録された作品一つ一つに対して作者自身に思いを述べてもらう。作品本意で考えれば作者のコメントなど蛇足かもしれないが、「書いた作品を載せるだけ」でなく、それを生み出すまでの[創作過程]・[創作背景]をも大事に考える──そんな姿勢を打ち出したかった。

《窓》は、ふたば号(創刊準備号/1978年1月1日)のあと、やはり《漁人》のメンバーだったSさんとその友人Oさん(イラスト担当)をお迎えてして創刊号(1978年4月1日)をだすことができた。第2号では、Oさんに変わってやはりSさんの友人Tさんがイラストを飾ってくれた。

第2号巻末のお便りを紹介する頁(ぽすと)では、《窓》読者からの手紙の一部とSさんのコメントを僕が手書き文字&イラストでレイアウトした。「まど」の郵便受けに届いた手紙を、《窓》の作品に登場したメンバーたちが集まって読んでいる──という図案。お便り文と手紙文では手書きながら書体を変えてある。
03窓2号ぽすと製版
《窓》を手書き文字にしたのは予算の関係からだったが(活字を組むと高くつくので)、出来上がった誌面を見ると、これはこれで手作り感があってなかなかいいものだなぁ……などと感じたものである。
発行した《窓》は地元の書店に交渉して置いてもらったり、同人誌マーケット(今のコミケの原型だろうか。当時は文芸誌・ミニコミ誌・マンガ同人誌が混在した即売会だった)に参加して売ったり、《漁人》で知り合った仲間たちに送ったりした。当時の仲間たちの中にはそれぞれ同人誌を立ち上げた人もいて、互いに同人誌を送ったり送られたりし、それが楽しかったし刺激になった部分もある。

第2号(1979年7月1日)を出した後、《窓》は活動停止となるが──この第2号に掲載した僕の長編ファンタジー『クロカニ号の冒険』(400字詰原稿用紙換算232枚)が、児童書出版の金の星社で公募していたコンテストに入賞し、出版化が決まるという信じられないような出来事が起こった。入選してから出版までは5年ほどかかってしまったが、挿絵はますむらひろしさん、解説は光瀬龍先生に飾っていただくことができた。
この『クロカニ号の冒険』の入選を機に、創作に対する姿勢や考え方にいくらか変化があったかもしれない。「読んで面白い作品を」という目指すところは同じだか、真剣度は格段にアップした。自分が面白いと感じるものを追求するのは当然ながら、さらに他の人が読んでも面白いと感じさせるためには何が必要か──そんなことも思案するようになった。

そして「楽しみのための(遊びとしての)同人誌」活動は《窓》の廃刊をもって一時休止する。この後も僕はいくつかの同人誌や勉強会に参加したが、それらは文字通り「勉強のための」活動であった。そうした同人誌活動で学んだ事はもちろん多いが、ふり返ってみると、僕にとってより愛着が深いのは「楽しみのための同人誌」の方であった気がする。


④《アルファ》の頃〜児童文芸研究会〜
04アルファ児童文芸
初めて書いた長編ファンタジー『クロカニ号の冒険』を金の星社の公募に応募した頃、僕は「児童文芸」という雑誌を発行していた日本児童文芸家協会が児童文芸研究講座を開催している事を知って、これに参加してみることにした。児童文学に興味がある人なら一般の素人でも参加できるようだし、プロの作家がどんな創作活動をしているのか、話を聞いてみたかった。また、ここに集まってくる、まだ見ぬ創作活動家(?)たちがどのような作品を書いているのかなどにも興味があった。

児童文芸研究講座は月1回の割合で開かれていた。前半は児童文学者の講義で、後半は受講生たちの書いた作品の合評というスタイル。受講生たちがあらかじめ提出していた作品は簡易タイプ印刷で「作品集」として冊子にまとめられ、それを何回かかけて合評する。
ここでは僕が望んでいた合評会がしっかり行われていて、大いに刺激になった。楽しかったし、勉強になった。
自分の意図する作品を書くためには、作品を客観的に分析する能力が必要なはずだが、自作を客観的に見る事はなかなか難しい。しかし他人の作品なら比較的客観的に眺める事ができる。他者の作品をどう評価するのか──僕の意見と、他の人たちの意見を比べる事で、自分の作品分析力がいかほどのものなのか判断する手がかりになるのではないかと考えた。
自分の作品に対する評価にはもちろん興味があったが、他者の作品をどう評価すべきか──他者の作品を通して分析力を磨くことにも力を入れた。

合評会は神楽坂(東京)で行われていたが、香川県からわざわざ出向いて来る熱心な方もいて驚いたことがあった。彼女が後に偕成社からデビューする須藤さちえさんである。ちなみにこの児童文芸研究講座を受講していた同期メンバーの中からデビュー(商業出版)を果たした人には、河野貴子さん・矢部美智代さんなどもいる(他にもいるかも知れない)。規模は決して大きくない勉強会だったが、充実した有意義な活動だった。

やがてこの児童文芸研究講座は終了する事になるのだが、受講生メンバーたちは合評会の場の継続を求めた。《アルファ》という同人会をつくり、日本児童文芸家協会の支部という形で認めてもらうことになる。児童文芸研究講座や《アルファ》で作られた作品集は合評用テキストという意味合いが強かったが、これも「同人誌」と言えなくもない。
創作を志す仲間たちのと交流が楽しく僕はしばらく皆と行動を共にしていたが、勉強会がいくらか派閥的な色合い変質していくような違和感を覚えるようになり、やがて《アルファ》を離れることになる……。


⑤《MON48》の頃〜光瀬教室〜大衆文芸の書き方〜
05MON48画面
『クロカニ号の冒険』入選の通知を受けたのは、児童文芸研究講座に参加するようになって間もない時期だった(入選から出版まで5年かかった)。その頃、児童文芸研究講座の浜田けい子先生の紹介で少年文芸作家クラブ(現・創作集団プロミネンス)の先生方と知り合うチャンスをいただいた。SFマガジン初代編集長・(故)福島正実先生が立ち上げたクラブで、そこにいたのは僕が中学生時代に愛読していたSFジュブナイルを書いておられた先生方だった。その縁で光瀬龍先生には大変光栄な事に『クロカニ号の冒険』出版(金の星社/1984年)の際には解説を書いていただき感激した。

その光瀬龍先生が、朝日カルチャーセンターで《大衆文芸の書き方》という講座を開くというので第1期生として参加(1984年7月スタート)。ここにはすでに著書を数冊出している方・雑誌に書いている方など、プロも参加していた。一般のサラリーマンながら、毎週50枚の新作を提出するなどという恐ろしく熱心な人などもいて、活気があった。光瀬先生は、毎回講義の後に受講生たちと喫茶店によって気さくに色々な話をしてくださった。受講生らも仲良くなり、教室の外でも先生を交えて旅行などが企画されたりした。

そして、受講生らの作品を集めて同人誌を出そうという話がもちあがる。
創刊号にはなんと光瀬龍先生が書き下ろし作品を提供して下さるという! これは下手なものが作れない──。僕が見まわしたところ、同人誌活動をしてきた人はいないようなので、いささか心もとない気もしたのだが……働き者でテキパキと対応できる人がいて、話はトントンと進んだ。
同人誌のタイトルは皆で候補を出しあい、その中から《MON48》が決まった。光瀬教室(大衆文芸の書き方)が開かれるのは毎週月曜(MON)住友ビル48階であったことに由来する──これは僕の思いつきだった。ちなみに表紙のイラストも僕にお鉢がまわってきた。図案は書き手の象徴であるペンが翼を広げ、光瀬教室(住友ビル)から飛び立つ──というものにした。
フリーハンドでアウトラインを描いて、色指定できるようにしたつもりだったが……ちょっと計算違いがあった。もう少しキレイに仕上げておけば良かった……とこれは後になって反省したことだが……とにもかくにも、同人誌《MON48》は創刊にこぎつけた。
そしてこの創刊号に書いた『ねこにかかったでんわ』は後に岩崎書店から出版していただくことができた。

※同人誌《MON48》6号までのラインナップは──、


■MON48 創刊号(1985年3月)
書き下ろし作品
『蓮屋蓮吉捕物控 討入りの朝』・・・・光瀬  龍
『家紋』・・・・・・・・・・・・・・・武生 義史
『日だまり』・・・・・・・・・・・・・篝  真子
『ねこにかかったでんわ』・・・・・・・星谷  仁
『マスメディア・ジャック』・・・・・・津久江 隆
『夕暮れの道』・・・・・・・・・・・・きたちひろ
『雲の峠』・・・・・・・・・・・・・・如月  薫
『捨てられていた幸運』・・・・・・・・森永ぐり子
『賭け』・・・・・・・・・・・・・・・瑞木  晶
「門出を送る」・・・・・・・・・・・・光瀬  龍

■MON48 第2号(1985年12月)
書き下ろし作品
『リトルバラ:三一八七・ソラリヤ』・・光瀬  龍
『不倫電話』・・・・・・・・・・・・・卯杖 遊子
『横顔』・・・・・・・・・・・・・・・柄沢真紀子
『宮本武蔵異聞』・・・・・・・・・・・津久江 隆
『水銀灯』・・・・・・・・・・・・・・山崎  玲
『怪我の功名』・・・・・・・・・・・・如月  薫
『サリバイ市はおおさわぎ』・・・まつみやもりかつ
『ぽんたの川』・・・・・・・・・・・・きたちひろ
『隣の席』・・・・・・・・・・・・・・瑞木  晶
『夢寓話』・・・・・・・・・・・・・・尾上 華子
『コバルトヴァイオレットペール』・・・江戸 主水
『ラスト ワルツ』・・・・・・・・・・篝  真子
「第二号発行に寄せて」・・・・・・・・光瀬  龍

■MON48 第3号(1986年12月26日)
書き下ろし作品
『仲買人たちの夜』・・・・・・・・・・光瀬  龍
『夕暮れ』・・・・・・・・・・・・・・篝  真子
『がんばれ! おばけ先生』・・・まつみやもりかつ
『半導体ヤクザさらにスパイ』・・・・・北松  誠
『虹色のクワガタ虫』・・・・・・・・・正田  太
『流れ星』・・・・・・・・・・・・・・如月  薫
『ノアの末裔』・・・・・・・・・・・・津久江 隆
『山は夕暮れ、なみだ色』・・・・・・・きたちひろ
『サクランボを棄てる女』・・・・・・・瑞木  晶
『名探偵と牛若丸』・・・・・・・・・・藤谷はるか
『二百年後の結末』・・・・・・・・・・水木 萌映
『小岩界隈』・・・・・・・・・・・・・卯杖 遊子
『備前七幅』・・・・・・・・・・・・・東山 令子
「第三号発行に寄せて」・・・・・・・・光瀬  龍

■MON48 第4号(1988年12月1日)
『十五夜無情』・・・・・・・・・・・・如月  薫
『ラブストーリー1986』・・・・・・・・津久江 隆
『歯医者さんと魔法の火』・・・・・・・紺野 加奈
*特集*「課題作品について」・・・解説:光瀬 龍
「田岡屋騒動」・・・・・・・・・・・・松宮 守克
「あたりくじ」・・・・・・・・・・・・筒井 和子
「終わりよければ」・・・・・・・・・・藤谷はるか
「ベター・ハーフに乾杯!」・・・・・・武内 淑郎
「だから九時まで」・・・・・・・・・・瑞木  晶
『野げいとうの怨み』・・・・・・・・・長谷 圭剛
『ミルクキャラメルをほおばって』・・・神崎 静華
『SHE・IS』・・・・・・・・・・・由井 宏道
『恋人はスペースキャット』・・・・・・木部恵利子
『左利きの乳房』・・・・・・・・・・・江戸川町子
「第四号によせて」・・・・・・・・・・光瀬  龍
「MON48の奇跡」・・・・・・・・・・星谷  仁

■MON48 第5号(1990年11月3日)
『国試無双』・・・・・・・・・・・・・由井 一光
『最後の天使』・・・・・・・・・・・・藤谷はるか
『車人形・影法師』・・・・・・・・・・岡  光子
『ブクと』・・・・・・・・・・・・・・茂木 陸子
『金魚の意気地』・・・・・・・・・・・三ノ杉圭祐
『蝿』・・・・・・・・・・・・・・・・瑞木  晶
『裸身群像』・・・・・・・・・・・・・松井 栄子
『アーマが帰ってきた』・・・・・・・・関口 和利
『歪んだ伝言』・・・・・・・・・・・・津久江 隆
『見合い結婚しましょ』・・・・・・・・木部恵利子
『花がけろうの家』・・・・・・・・・・江戸川町子
『主婦の使命』・・・・・・・・・・・・松宮 守克
『幻燈の中』・・・・・・・・・・・・・吉田 汀子
「女の時代」・・・・・・・・・・・・・星谷  仁
赤いクモ──夢の前兆──」・・・・・星谷  仁
「新人賞ブームについて思う」・・・・・光瀬  龍

■MON48 第6号(1992年4月)
『ネオテニー』・・・・・・・・・・・・津久江 隆
『夏の曲』・・・・・・・・・・・・・・松井 栄子
『かたき大福』・・・・・・・・・・・・紺野 加奈
『呪いの譜』・・・・・・・・・・・・・新発田 実
『月をねだる』・・・・・・・・・・・・茂木 陸子
『ダイアンの瞳』・・・・・・・・・・・今川 智志
『祭りのあと』・・・・・・・・・・・・吉田 汀子
『芳香』・・・・・・・・・・・・・・・宇津木玲子
『白菊抄』・・・・・・・・・・・・・・如月  薫
『連鎖〈チェーン〉』・・・・・・・・・由井 一光
『明日を作る人々』・・・・・・・・・・鈴木 孝昭
『本日、朝野早紀は人を殺します』・・・山本真梨子
『召集令状』・・・・・・・・・・・・・瑞木  晶
「誰がそれをプロと呼ぶ」・・・・・・・光瀬  龍

そして余談だが……この《MON48》は映画にも登場(!?)している。第3号が『文学賞殺人事件〜大いなる助走〜』という邦画のエンドロールで流れていく同人誌の中に映っているのだ。知らずにこの作品をテレビで見ていてビックリした。
文学賞殺人事件〜大いなる助走〜』(1989年アジャックス)は筒井康隆・原作の文学界をパロった作品。同人誌に載った無名の新人の作品が大きな文学賞にノミネートされたことから起こる騒動を描いたもので、筒井康隆自身がSF作家役で出演して文壇バーで暴れるシーンがある。
同人誌とパロディといえば……僕がふざけて書いたミラクル☆スター・復活篇も内輪ネタ・パロディで、《MON48》や《漁人》の同人誌メンバーが(仮名で)登場している。そして舞台は文壇バーだった……。


⑥《チャンネルF》の頃〜ワープロの登場〜コピー誌(紙)篇〜
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ワープロ──日本語ワードプロセッサは、パソコンに取って代わられ、もはや絶滅寸前(?)だが、この機械が登場したときは、すごいものが現れたものだとビックリした。当初は1台数百万円(そのくせ印字はかなり粗雑)──それでも、この夢のような機械にあこがれた。
今でこそパソコンで文章を自在に編集できるのは当たり前になったが、当時は原稿用紙に手書きで文章を書いていた。まず下書きし、それを推敲する。すると原稿はゴャゴチャしてくるので、再度書き直す──このようなことをくり返した。
僕は筆圧が強かったので、人差し指の腹の指紋はすりへり、中指にはしっかりペンだこができた。推敲本来の労力ばかりではなく、原稿の書き直し・修正・ときには切り貼りなどの物理的な労力で時間をとられ、それがわずらわしい。
ワープロを使えば、その物理的労力から開放される……。まさに夢のような「未来の機械」だった。
ワープロが出た当初は「高嶺の花」とあきらめ、このような高価な機械を持つ事は自分には生涯ないだろうと思っていたが……ワープロの進化と普及のスピードはめざましかった。数年で値段もぐっと庶民的になり、僕も結局4台も使っていた。その花形だったワープロも今やすっかりみかけなくなった……爆発的に普及したワープロは廃れるのも早かった……。時代の移ろうスピードには驚くばかりである。

さて、このワープロを手に入れた事で、「活字化」の憧れは気軽に実現できるようになった。そこで、遊び感覚で気ままに作ったのが同人誌ならぬ個人誌《チャンネルF》だった。
作品やら覚書やらエッセイやら……思い付いつくままにまとめ、ワープロで編集してプリントアウトしたものを版下にし、コピーをとってホチキスでとめる──それだけの粗末な個人誌で、発行部数も知人数名に配布する程度のものだった。作ってみたものの誰にも見せていない号もある。しばらく離れていた「楽しみのための」個人誌の再開だったともいえる。
《チャンネルF》の「F」は「ファンタジー」「フュージョン(現実と幻想の<融合>)」そしてちょっと強引だが「FUSHIGI」の頭文字。不思議でファンタジックなチャンネル──という意味合いである。第1号表紙はラジオのチューナーをイメージしてデザインした(不思議でファンタジックなチャンネルにチューニングするイメージ)。当初は創作ファンタジー&覚書・エッセイをまとめていた。
07CF表紙7&12
7号は100年に一度開花する竹の花とクダギツネの伝説、さらにかぐや姫とクロマドボタルとをからめたファンタジー(『月からきた小さなきつね』のタイトルで<子どもと読書>に連載)。12号は自選ショートショート集。表紙は「運命の赤い糸をあやつるクモ」のイメージ。
そのうち飼っていたフェレットのレポートやフェレット漫画など、創作・文芸路線以外のものも登場させる。
08CF13&9
関係者しか判らないパロディ小説を載せたり、そこから発展した実写ビデオミラクル☆スターを撮ってテレビで紹介されるなどといったこともあった。
また《チャンネルF》とは別に冊子の形をとらず、内容を1枚の紙にまとめた個人紙《チャンネルF☆通信》も、ちょくちょく作っていた(第8号の『団地さいごの日!?』『きえた大はつめい』は朝日小学生新聞の読み切り童話として描いたもの)。
このようにワープロの登場で「活字化」は手軽に実現できるようになった。イラストを張り込めば同人誌もどきのようなものが作れる。ただ、コピー誌(紙)の場合は配布できる相手や数がかなり限定される。

そうした事を考えると、パソコンの登場、ホームページやブログ、SNSの登場は画期的だ。多くの人が閲覧可能なネット上に自分の「表現」ができるのだ。自分の文章を活字化でき、カラーのイラスト・写真も掲載できる。画像ばかりか動画までも──これは同人誌では不可能だったことだ。しかもタダで──。
自費出版にあこがれ、同人誌を始めた頃からは想像もできないことだ。
なんともスゴイ時代になったものである。


個人誌《チャンネル☆F》(コピー誌)
【VOL.1】「雨の日の通信」「金色の首輪」「しゅっぱつ!ゆうれい探偵団」「占い師の予言」「ワラ人形のききめ」「魔法使いをたずねた男」「脱獄をくいとめた男」を収録(1987年)
【VOL.2】「SFはポケットの穴から…」(1988年)
【VOL.3】「恋の魔法は手作りチョコで」「愛しいまぼろし」を収録(1988年)
【VOL.4】創作の周辺・折り鶴/<ねこにかかったでんわ>着想・創作過程/<小さなまじょのさがしもの>発想・創作過程/<ヒョウタン池の仙人・後記>をふり返って/物語は心のシミュレーション/書き手のショーマンシップ/釣りとテンプラ・アイディアの捕捉/を収録(1988年)
【VOL.5】「まほうのチョコボール」「プテラノドンと男の子」まぼろしの迷作誕生!?「恐竜のカプセル」収録(1988年)
【VOL.6】「オレは野良犬」「ハム・スタ子と芳男」「六番目の感覚」「不思議なサンドイッチ」「たこあげ」「ヒョウタン池の仙人」収録(1988年)
【VOL.7】「むぎわら帽子の竹の花」収録(1988年)
【VOL.8】「だれかの<声>が…1/心の<声>」収録(1988年)
【VOL.9】「ミラクル☆スター・激闘篇」他収録(1989年)
【VOL.10】「ミラクル☆スター・復活篇」収録(1989年)
【特別号】「雨の日の通信」「プテラノドンと男の子」「金色の首輪」「ワラ人形のききめ」「愛しいまぼろし」<ねこにかかったでんわ>着想・創作過程/<小さなまじょのさがしもの>発想・創作過程/釣りとテンプラ・アイディアの捕捉/収録(1989年)
【別冊 臨時増刊号】ミラクル☆シリーズ 秘密大百科(1992年)
【VOL.11】掌篇集&4コマ漫画/収録(1993年)
【VOL.12】自選<奇妙な味の>掌篇集(1994年)
【VOL.13】わが家のフェレット・レポート/収録(1996年)
【VOL.14】漫画「フェレットinジャケット」収録(2002年)
【VOL.15】漫画「ふぇレッツ・ゴー」収録(2002年)
【VOL.16】漫画「フェレットのいる風景」収録(2002年)
【VOL.17?】漫画「虫屋な人々」収録(2007年)

個人紙《チャンネルF☆探偵団》(コピー紙)
【VOL.1】邦画「文学賞殺人事件 大いなる助走」エンディングに同人誌《MON48》(表紙画:星谷 仁)が映っていたことの報告(1992年)

個人紙《チャンネルF☆通信》(コピー紙)
【VOL.1】自主映画祭&ロケ参加報告/カメレオンTV出演(1992年)
【特別号】ミラクル☆シリーズ スペシャル 資料(1992年)
【VOL.2】ジュラシック・パーク感想/ロケ(エクシーザー)報告(1993年)
【VOL.3】「守護霊」&覚書(1993年)
【VOL.4】「地震の予知」&覚書(1993年)
【VOL.5】朝日小学生新聞連載報告(1993年)
【VOL.6】「人面ガエル」(1993年)
【VOL.7】人面ガエル・覚書(1993年)
【VOL.8】「団地さいごの日!?」「きえた大はつめい」(1993年)
【VOL.9】「おふろの海ぼうず」「ペットよけボトルのひみつ」(1994年)
【VOL.10】肩乗りイタチ・フェレット(1995年)
【VOL.11】東京ディズニーランド紀行(1995年)
【VOL.12】「リサイクル」「証拠」(1995年)
【VOL.13】「宇宙観」(1995年)
【VOL.14】「暗示効果人はなぜ宝クジを買うのか(1996年)
【VOL.15】「モニター」Myフェレット雑誌に登場!!(1997年)
【特別号】略歴

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ミラクル☆スター】(1991年)
ミラクル☆キッド】(1991年)

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