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ショートショートの新概念?

01座敷童子&花火画A

マジック・ストーリーまたはトリック・ストーリー
僕は意外なオチを意図した短いアイディア・ストーリーが好きだ。読者を誘導する自然な展開の中に、実は巧みに仕組まれた伏線があって、結末に思いもかけない展開が用意されている──いわゆる《ドンデン返し》が面白い。オチの《意外性》は「なるほど、そうだったのか」と合点がいくものが好ましい。つまり《思いもかけない展開》でありながら《説得力》の裏付けがあることで、読者はストンと腑に落ちるわけである。すんなり納得できることが、意外性の《キレ》を演出することになる。
アイディア・ストーリーでは《読者をだます仕掛け》がほどこされ、同時に騙された読者を「なるほど」と納得させる《説得力のある伏線》が仕込まれているいることが多い。《ミスリード(読者が描くイメージ)》と《種明かし(真相)》がセットになって成立しているところがある。

これに対して、作中で披露した《謎》を作中では種明かし(解説)せずに幕を閉じるスタイルの作品があってもよいのではないか……と最近思うようになった。
結末に《謎》を残す作品スタイルとしては【リドル(riddle=謎)ストーリー】と呼ばれるものがある。結末を明らかにせず読者に委ねる形の作品だ。「このあと、どうなるのか?」──結末を明記せずに《謎》を残すということでリドル・ストーリーと呼ばれるのだろう。僕の作品でいうと『チョウのみた夢〜善意の報酬〜』がこれに当る。
リドル・ストーリーで提示される《謎》は、読者が仕掛けを理解した上で《未確定の結末をゆだねられる》というものだが、こうしたタイプの作品ではなく、作中に提示した《謎》を〝読者がその仕掛けを理解できぬまま〟幕を閉じるスタイルの作品があってもいいのではないかと考えるようになった。

もう少し具体的な例をあげて説明すると──。
《同じ顔ぶれのまま人数だけが1人増える》という不可思議な《座敷童子現象》をモチーフに、僕はいくつか作品を描いてきた。
《同じ顔ぶれのまま人数だけが1人増える》というのは起こりえない現象だ。しかし、この不思議をどう描けば起こったかのように演出することができるか……色々と思案してきた。
作中で《座敷童子現象》の合理的な種明かしを考えたのが『病院跡の座敷童子』で、僕の着想と同じ原理で、実際に「手の指が1本増える」という催眠ショーが演じられているのをテレビで見て驚いた記憶がある。
その後《座敷童子現象》を成立させる作品を模索していく中で『福神降臨ざしきわらし召喚アイテム』や『花火と座敷童子』といったショートショートを試作。『福神降臨ざしきわらし召喚アイテム』はトリックアート(騙し絵)と絡めたもので、作中で《座敷童子現象》という不可思議=《謎》を成立させているが、その《種明かし》は(作中では)行っていない。読者は騙されたまま(?)──どこで騙されたか、にわかには理解できない(ことを狙って描かれている)。『花火と座敷童子』の方は計算の錯誤を誘導するひっかけパズル(?)のような形の《謎》を提示──知らぬ間に座敷童子が現われて花火代を抜いていったかのような錯覚を読者に与えることで《謎》を成立させている(させることを意図している)。作中では種明かしがなされておらず、どこにトリックが仕組まれているのか、読者は自力で解明をしなくてはならない。

種明かしをしないで終わるという意味では〝実際には起こりえない現象を起こったかのように演じてみせる〟マジックに似ている。マジックはトリックを明かさないで成立する。
実際に読者が騙されるかどうかは別にして、読者を騙す(錯誤を誘導する)意図で描かれ、作中では不可思議な現象(謎)を提示するだけで種明かし(錯誤の解説)をしない──こうしたスタイルの作品があってもいいだろう。ならば、こうした作品群をさす呼称があっても良いはずだ。ということで、このテの作品を【マジック・ストーリー】もしくは【トリック・ストーリー】とでも呼んでみてはどうだろうか。
文芸作品では、これまでにあらゆる実験が行われてきているのだろうから、あるいは僕の新概念もすでにあるのかもしれないが……とりあえず、個人的には【マジック・ストーリー】もしくは【トリック・ストーリー】の仮称を考えていたりする。


チョウのみた夢〜善意の報酬〜
病院跡の座敷童子
福神降臨ざしきわらし召喚アイテム
花火と座敷童子


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花火と座敷童子

00花火と座敷童子扉
400字詰原稿用紙で9枚ほどのトリック(?)ショートショート。

01花火と座敷童子A
02花火と座敷童子B
03花火と座敷童子C
04花火と座敷童子D
05花火と座敷童子E
06花火と座敷童子F
07花火と座敷童子G
08花火と座敷童子H
09花火と座敷童子I

福神降臨ざしきわらし召喚アイテム】では座敷童子を利用して金儲けをする話だったが、今回は知らぬ間に座敷童子にお金を抜かれる話。
消えた百円の謎──よく考えれば錯誤であることがわかるはずだが、展開の流れで一瞬〝消えた〟かのように思わせることができたのであれば、してやったりというショートショート。
今回使用した計算の錯覚(錯誤)は僕のアイディアではないが、座敷童子に絡めたネタとして使えると思って【ひとり多い!?座敷童子2題 座敷童子パラドックス小咄】に記している。これをさらにショートショート風に仕立ててみたのが本作である。

何度か記しているが、《顔ぶれが同じなのに1人増えている座敷童子現象》は宮沢賢治の『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』にでてくるエピソード。


「大道(だいどう)めぐり、大道めぐり」
 一生けん命(めい)、こう叫(さけ)びながら、ちょうど十人の子供らが、両手をつないでまるくなり、ぐるぐるぐるぐる座敷(ざしき)のなかをまわっていました。
 どの子もみんな、そのうちのお振舞(ふるまい)によばれて来たのです。
 ぐるぐるぐるぐる、まわってあそんでおりました。
 そしたらいつか、十一人になりました。
 ひとりも知らない顔がなく、ひとりもおんなじ顔がなく、それでもやっぱり、どう数えても十一人だけおりました。
 そのふえた一人がざしきぼっこなのだぞと、大人が出て来て言いました。
 けれどもだれがふえたのか、とにかくみんな、自分だけは、どうしてもざしきぼっこでないと、一生けん命眼(め)を張(は)って、きちんとすわっておりました。
 こんなのがざしきぼっこです。
 (宮沢賢治・作『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』より)


この謎めいた現象には興味があって、僕自身もこの現象を扱った座敷童子の話(創作)をいくつか書いている。

病院跡の座敷童子
福神降臨ざしきわらし召喚アイテム


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物書きのジレンマなど(創作雑感)

01着想イラスト等

物書きのジレンマなど
作者は自作品の読者になれない!?
一口サイズの読み切り創作作品の一部をブログに公開しているが、今回は創作について思うところを少し記してみることにする。

物語を創ってみたい・小説を書いてみたいと思うきっかけは人によって様々だろう。読んだ作品に感銘を受けて、自分もこんな話を書いてみたいという憧れから創作を始めた人もいれば、既成作品に感銘しつつも「ここは、こうあってほしかった」という思いが強く「自分好みの仕様」を欲する気持ちから自作を始めたという人もいるだろう。あるいは既成作品に対する不満から、自分が満足できる小説の理想を求めてペンをとった人もいるにちがいない。

小説の良いところは(標準装備の頭と)紙とペンがあれば(今ならパソコンが主流なのだろうが)、物語を自由気ままに創ることができることだ。映画づくりでは基本的にスタッフや役者たちの協力が必要となるが、小説であれば作者独りで作品づくりを完結することができる。
物語を自作するということは《自分好みのおもしろい作品を構築する》ということだろう。この《おもしろさ》を測る基準が、僕の場合《読者としての自分》だと言える。《読者としての自分が読んだら、おもしろいと感じるかどうか》という視点である。
《読者としての自分が読んで、満足できる作品を書きたい》──それが創作の動機になるわけだが……しかし、残念なことに、じつは《作者は自分が書き上げた作品の純粋な読者にはなれない(自作品をまっさらな気持ちで読むことができない)》。
書き上げた作品を読み返してみるとき──作者は冒頭の1行を読んだ時点で(というより読む前から)、その後の展開や結末まで、全てがわかっている。苦労して書いた部分や不安がある部分などが、いやでも脳裏によみがえってきてしまう。
映画館で上映作品を鑑賞しているときに、誰かが横から先の展開や結末をバラし始めたら興醒めしてしまう──これと同じ。自分が書いた作品を純粋な気持ちで鑑賞しようとしても、読んでる先のことまで事細かにわかっているのだから、わずらわしいことこの上ない。
作者は《読者としての第一印象》で自作品を読むことができない。

《読者である自分が満足できるような作品》を目指しているのに、作者自身は、《自作品をまっさなら気持ちで読むことができない》──物書きはそんなジレンマを抱えている。
美味しい料理が食べたくて料理作りを始めたのに、自作した料理を味見することができないコック……小説書きのジレンマはそんな悲惨なコックに例えることができるかもしれない。
創作を始めた頃は、書き上げた作品を読み返しても、それがどの程度のものなのか、自己評価するのが難しかった。

難しい自作品の評価をするための《ものさし》作り
「(まっさらな)第一印象」で読むことができない自作品を印象で判断するのは難しい……そこで作品を測る《ものさし》のようなものが必要になってくる。作品を客観的に分析して評価する能力を養うのに大いに役に立ったのが、僕の場合、同好の仲間たちとの意見交換──同人誌や研究会などで行われる作品合評会だった。
合評会では、(客観的に読むことができない)自分の作品が他者にどう読まれているのか──そうした意見が聞けて大いに参考になったが、作品分析力を鍛える上でそれ以上に有益だったのは、むしろ他の人の作品に対する分析・評価の比較だった。自分の作品は冷静に判断することが難しいので、他者からの意見が妥当なものなのかを判断するのが難しい。しかし、他者の作品についてならば「(まっさらな)第一印象」で読むことができるわけで、他の人たちと同じ土俵で作品を論じることができる。同じ作品に対する評価を他の人たちの意見と比べながら、どの評価が適切なのかを考えるようになり、自分の《ものさし》が培われていった気がする。こうして構築された《ものさし》が、自分の作品を判断する手がかりにもなったわけである。

初心者へのアドバイスについて
創作を始めて間もない頃には《ものさし》もできておらず、自分の作品に対して適切な評価をするのが難しい。そこで、客観的に読むことができる立場の同好の仲間・先輩たちの助言が効くわけだが、経験的に注意が必要だと思うことを記しておきたい。

初心者の作品には、欠陥も多めだが──不備な点というのは具体的に指摘しやすいし、指摘された方も理解しやすい。それに対し、長所を褒める時は観念的な指摘になりがちなので、欠点(の修復)に意識が向きがちになる。
初心者は長所も短所もハッキリ自覚できずに書いているものだが、書き上げた作品の短所ばかりが(他者からの指摘で)意識化され、その修復に腐心して改稿したり、あるいは新作に取り組むと、短所は改善されたものの、元々あった長所のあじわいが影をひそめてしまうということが起こりうる。
《ハッキリ自覚できずに書いていた長所と短所》のうち《ハッキリ自覚できずにいた短所》ばかりが意識化されたことで、それをどう取り繕うかということに意識が向いてしまい《ハッキリ自覚できずにいた長所》がないがしろにされてしまうためだ。
物語の価値は、面白さにあるわけで、改稿にしろ新作にしろ《欠点をどうとりつくろうか》というつじつま合わせに心を奪われるより《面白さ(長所)を引き立たせるにはどうすべきか》という視点に立って考えることが大事だと思う。
アドバイスをする側も「わかりやすい欠点」の指摘ばかりでなく「作者がハッキリ自覚していない長所」を意識化させ、それを膨らませる方向の助言を心掛けるべきだろうという気がする。

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掌篇『フユシャク探し』

フユシャクは冬にだけ見られる蛾。原稿用紙で3枚半ほどのショートショート。

01フユシャク探しA
02フユシャク探しB
03フユシャク探しC
04フユシャク探しD


僕が虫見を始めたころ、初めてフユシャクのメスを見つけたときには、この風変わりな生き物はいったい何なのだろうと驚いたことを覚えている。その頃は、どこでどんな虫を見たか、それぞれの場面を覚えていたが、段々思い出すのにてこずるようになってきた。記憶の劣化を感じることが多い昨今──そんな僕自身の経験から頭に浮かんだ話。
ちなみに冒頭のカットで使っている昆虫の画像は、イチモジフユナミシャクのメス。フユシャクのひとつで、オスとはずいぶん違った姿をしている。狭山丘陵周辺では12月の後半〜1月の上旬頃に桜の古木でよく見られる。

05イチモジフユナミシャク♀♂
昼間のオスは?イチモジフユナミシャクより⬆

まるで別種なフユシャクの♂と♀〜冬尺蛾記事一覧
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福神降臨ざしきわらし召喚アイテム

福の神!?座敷童子を召喚する奇跡のアイテム!?!
うしろを向くと1人増える!?……トリック・アートとコラボのショートショート。

01座敷童子召喚SSa

02予言妖怪比較

02座敷童子召喚SSb
03座敷童子召喚SSc

04座敷童子図解A
05座敷童子図解B
06座敷童子図解C

07座敷童子召喚SSd改


以前【座敷童子召喚グッズで大もうけ!?】で投稿したネタだが、もう少しショートショートっぽく、そしてわかりやすく──と思って作り直してみたもの。本文(縦書きにした部分)は原稿用紙にして3枚半ほど。
もちろんこれはフィクションであり、錬金術はトリックなので実際にはこの方法でお金を増やすことはできない。初見の人は、どこにトリックがあるのか見破るのに時間がかかるかもしれない。

図解で示した14人から15人に増えるトリック・アートは、単純にAとBを入れ替えることで成立する。その方がシンプルで手際が良いともいえるが、《入れ替えると1人増える》という形にすると、見ている人は、ハッキリとは理解できなくても《入れ替え》に仕掛けがあるだろうことを察してしまう。そこで《全員が後ろを向くと1人増える》とし、3つのパーツを1つずつ裏返して行くという演出を考えた。1つずつ裏返すことでAとBの入れ替えを(裏向きで)行っているわけだが、この《入れ替え》の過程を《後ろを向かせる(裏返す)》という理由付けで行うことによって意識誘導する(入れ替えという目的とは別のところに意識をそらす)狙いがあった(ミスディレクション)。
分割画面を1つずつ裏返すことで描かれた人影は分断され、どうなっているのかわかりにくくなる。ぷち混乱を引き起こすことで《入れ替え》の認識から遠ざけるミスディレクションの意図もあった。
また、裏返すことで人影が分断されるプロセスを入れることによって14人から15人に変わったときに発生する人影の身長の変化──14人を15人にすることで平均身長が低くなる──このことに気づきにくくする効果も期待できると考えた。
こうした理由から、表向きのままあっさりAとBを入れ替えるよりも、《後ろを向かせる(裏返しにする)ことで1人増える》という説明で、A・B・C全てのパーツを1つずつ裏返していき、最後に全体を表向きにする方が、意味ありげで謎めいた印象を与えるだろうと判断した。

作中で紹介したエピソード──子どもたちが遊んでいるといつのまにか1人増えていて、それが誰かわからないという話は、宮沢賢治の『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』に出てくる。ちなみに登場したハカセの名前「柳沢國治」は、(座敷童子を紹介した)『遠野物語』の著者・柳田國男と、宮沢賢治をもじったものである。



病院跡の座敷童子 1人増える座敷童子現象を謎解きする読み切り童話
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