FC2ブログ

ユーザータグ : クイズの記事 (1/1)

【ゲシュタルト崩壊】と【空目】

漢字を見たり書いたりしているとき、すっかりなじんでいたはずの文字にふと違和感を覚えることがある。あたりまえに読み書きしていた文字なのに「あれ? こんな字だったっけ?」とふいに不安めいた疑問におそわれる……これが【ゲシュタルト崩壊】。Wikipediaには《全体性を持ったまとまりのある構造(Gestalt, 形態)から全体性が失われ、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象をいう》と記されている。

先日、「ニワトリ」を意味するハングル(文字)を目にしたとき、【ゲシュタルト崩壊】で文字の構成部分が他のものに見えた。その【空目】から脳内に自動展開したハングルなぞなぞ↓。

鶏は全部で?/ETの数は?

《【Q】ニワトリがいます。全部で何羽?》

日本ならば……《【A】2羽》
∵「ニワトリがいます」→「ニワ(2羽)トリ(鶏)がいます」

といったところ。ありがちなダジャレ的「なぞなぞ」だが……韓国だと、もっと多くて──《【A】全部で27》!? そのココロは↓


ハングルで「鶏」は「닭(タク)」。これがゲシュタルト崩壊して「다(ター)27」に見えたことから、かってに脳内に展開したダジャレ的「なぞなぞ」。
そしてこれから連想して思い浮かんだ似た「ハングルなぞなぞ」パート2↓


「투」の「ㅌ」は「E」に見えるしそう発音したくなるが、実際の発音は(≒)「T」。そして「T」と発音したくなる「ㅜ」の発音は「U」。
「투」は英語の「2(two)」を意味する。ちなみに「ツーピース」はハングルで「투피스」。

とはいうものの「E」と「T」(に読める)──2つの記号が並んでいれば(映画タイトルの)「Extra-Terrestrial」の頭文字として認識してしまいがちだ。つい「イー・ティー」と読んでしまいたくなる(のは僕だけ?)。

ハングルは音を現す記号の組み合わせで構成されているが、このパーツには漢字やカタカナ・数字・アルファベット等に似ているものも多く【空目】が起こりやすい。
(例:「가」→「フト」/「그」→「ユ」/「나」→「レト」/「누」→「LT」/「대」→「CH」/「리」→「21」/「마」→「ロト」/「사」→「人卜」/「이」→「OI」「01」/「자」→「スト」/「카」→「ヲト」/「티」→「EI」/「애」→「OH」/「운」→「OTL」/「까」→「フフト」「刀卜」/「슴」→「合」/「쭈」→「卒」/「표」→「丑」/「손」→「人亡」/「흐」→「二〇一」…etc.※活字の種類にもよる)
そのため、韓国語を学ぶ日本人初心者には《【空目】誘導的な混乱》が起きがちな気がする。

【ゲシュタルト崩壊】と【空目】

ところで、【ゲシュタルト崩壊】が全体性の喪失による《実像イメージの崩壊》だとすると、【空目】は本来そこにはないはずの──《虚像イメージの構築》という知覚現象だといえるのかもしれない。
自然物の模様の中から「目」や「口」などに見えるパーツをピックアップし「顔」や「姿」をイメージしたり、文字等の記号に、そこに描かれていないないものをイメージする【空目】……《実像イメージの崩壊》と《虚像イメージの再構築》はどこかでつながっているような気がしないでもない。




スポンサーサイト



つれづれに夢の話

夢はおもしろい。脈絡の無いバカげた(?)ストーリーが展開されることがあったり、その一方、覚醒しているときには気がつかなかった示唆にとんだエピソードが展開される事もある。

最近、虫屋さんたちのつぶやきの中で、ちょっとおもしろい夢が紹介されていた。
《珍しい昆虫を捕まえる夢》という、いかにも虫屋さんにありそうな夢である。しかし、《巨大な新種を捕まえたものの大きすぎて毒瓶に入れられなくて困っているうちに目が覚めてしまう》とか、《毒瓶に入れたものの、眺めているうちに「これはあまりにも不自然だ、絶対に夢だな」と思って目が覚める》とか……そんな残念な幕切れになってしまうらしい。それもなんだか虫屋さんらしい。

僕も虫採りの夢を見ることがあるが、これは虫屋さんとは違って、昆虫自体への関心からそれが出てくるというより「象徴」としての昆虫が登場することがほとんどのようだ。
というのも、何かアイディアをひねり出そうとしているときに虫採りの夢を見ることが多い。「アイディア探し」が「虫探し」のイメージとかぶるのだろう。インスピレーション・モード(?)では無意識が活性化するため(意識の抑制が弱まることで)退行的な部分で(カブト・クワガタ探しをした)子供の頃の記憶(感情)にアクセスしやすくなる──という事もあるのかもしれない。

《カブトやクワガタを求め、山林の深いところまで分け入り散々探しまわったのにいっこうに見つからない……あきらめて引き上げたところ、すぐ身近なところで発見する》という夢も何度か見たが、これなどは「着想が得られないまま思考が深みにはまって迷走している」「そんなところを探し続けても良い結果は期待できない──一旦その場を離れてみるとむしろ(それまであまり重要視していなかった)身近な所に意外な発見があるかもしれない」──という示唆や暗示が含まれているような気がしないでもない。

また、《木のウロの中に立派な虫を見つけたものの、穴が狭くて手が届かない/むりやり引っぱり出そうとすれば、せっかくの虫が壊れてしまいそうで苦労する》という夢は、「面白いアイディアをつかみかけているだけど、それがストーリーとしてうまくまとまらない」──そんな時の苛立ちや焦りの気分を反映しているようにも思われる。
面白いアイディアを得ても、それがすんなりストーリーになることはむしろ珍しい。見つけたアイディアをなんとかものにしようと工夫を重ねることが普通だが、焦って強引にストーリー化しようとすれば、せっかくのアイディア自体を台無しにしてしまう──なんてことにもなりかねない。《強引に虫を引きずり出そうとすれば傷つけてしまう》という心配はこの気分によく似ている。

《見つけたときはカッコイイ!と喜んでいた虫が、持ち帰る間にだんだんヘンな生き物にかわっていってしまう》なんていう夢もある。着想を得た時、「これはいけるゾ」と喜んでいたアイディアが、作品化の段階でなかなかうまく行かず、いじり回している間に変質してしまう事がある……この夢はそんな心境に近いものがある。

このように僕の場合、虫採りの夢はアイディアに窮しているときに見る事が多い。しかし一方、アイディアそのものを夢で得ることもあったりする。
昔、『竜の船』というファンタジーで《第32回毎日児童小説》小学生向の佳作1席に選ばれたことがあったが、このときの作品はほとんど夢の中でストーリーが出来上がっていた。

ときには実在する人物が登場するコント仕立ての夢が展開したことも……!?




この夢↑に登場したコンビは某昆虫フォーラムのメンバーで実在の人物。仮称ムギピョンの方は一時女性を装って書き込みしていた事があり、そっちの気があるんじゃないかとツッコミが入った人物である。
そんなエピソードが夢にも反映していることがうかがえる。
いちおうオチまでついているから、夢の中でアイディアがまとめられた一例といえるだろう。

こうした柔らかいネタばかりではなく……数学の問題を夢の中で解いた事もあった。高校時代に、寝る前に考えたが解けなかった三角関数が、目覚めたときには答えを得ていた。どうやって解いたのか……夢の中の思考プロセスは残念ながら覚えていなかったが、とりあえす目覚めた時に覚えていた答を問題の式に代入してみたところ正解だと確認でき、我ながら感心したものだ。

また夢の中でクイズを解いたこともある。
「ここに12個の箱がある。そのうち1つの箱だけ重さが違う箱を秤を3回だけ使って見つけだす方法を求めよ」というもの。知人に出題され、あれこれ考えてみたのだがその時点では解けなかった。ところが眠っている間に、夢の中で解き方をみつけ、このときは「解けた!」と無理矢理目覚めて(?)、すぐにメモをとった記憶がある。
これはなかなか良い問題だったと思うので、頭の体操でチャレンジしてみたい人は考えてみると面白いかもしれない。
いちおう僕が夢で得た解き方はブログの方にアップした。答えが知りたい人はどうぞ。


夢の中で解いたクイズ

支離滅裂な夢も多いが、ときにはこのように、覚醒時に意識を総動員して考えたのに解けなかった問題が、夢の中で解けることもある。
夢はおもしろい。

いったい夢とは何ぞや?
そんなことを考えるようになったのはだいぶ昔のような気がする。
当初は「夢」というのは「心の全体性を保つための補完的シミュレーション」のような役割を担っているのではないか……などと想像したこともあったが、今ではそのようなハッキリした「理由・目的」をもった働きではないだろうと考えている。

眠っている間、脳の中にはランダムに発生する余剰信号(意味を持たぬ雑信号?)みたいなものがあって、その人が関心を持っている分野やエモーションに関連する回路(コンプレックス等)に触れるとその周辺で興奮がおこり(反応が活性化し)、活性が高まった部分では信号も連鎖反応的に強まるだろうから……そこで目覚めた後も記憶にとどまるような夢が形成されていくのではないか?

無作為に余剰信号(?)が走る回路では意味のない夢のかけらが雑然と発生しているのだけれど、たいていは記憶されずに消えていく……その中でその人の関心の高い部分・エモーションに関わるところで活性化した強い反応が記憶に残るほどに育って夢になるのではないか?
今はそんな風に考えている(学術的に正しいかどうかは知らない。あくまでも個人的想像)。

つまり、夢というのは、最初から意味のあるストーリーを意図して構築されるものではない。
細かい部分で(というか、かなり大きな部分でも)整合性がおかしいのは、元々は意味のないところで発生したからで、一見(整合性は)メチャクチャなのに、何か印象に残る──というのは、エモーションに関わる部分(心理を投影しうる部分)が残ったからだろう。

夢の仕組みがおおよそそんなものだったとすると、覚醒時に解けなかった問題が夢の中で斬新なアプローチで解決することがある──という現象も説明がつく。
覚醒時には我々は明確な意識の下、常識的体系で物事を捉え・考える。しかし、夢の中では意識時の思考体系の拘束は緩まり、通常は結びつかないカテゴリー間でも無作為に信号が飛び回る。体系の垣根を飛び越えてランダム・イレギュラーに信号が走る中で、覚醒時には思いもよらなかった意外性が生まれることだってあるだろう。その人が関心を持つ分野であればその周辺で反応の活性は高まり、斬新な着想につながって記憶にとどまる可能性がでてくる──これが夢のもたらすインスピレーションではないかと思う。

夢については語り始めると、触れたいテーマはあれこれあるので話しは広がり、とりとめが無くなってしまいがちなので、今回はこのくらいで割愛。

冒頭の虫屋さんたちの夢の話題に戻って……彼らのつぶやきの中には「夢から覚める状況」として、こんな例もあげられていた。
《尿意をもよおし、トイレを探しているうちに目が覚める》というもの。これに付随して《夢に出てくるトイレはマトモじゃない》なんて話しも出てきて、これには虫屋でなくても共感を覚える人は多いだろう。

僕も夢の中で《尿意をもようし、トイレを探すのだが、なかなか見つからなかったり、あったとしてもマトモじゃなくて別のトイレを探し続ける》なんて夢をみる。そのうち目が覚めて実際にトイレへ立つわけである。
考えてみれば、夢の中のトイレで安心して用をたしていたら……オネショという事態にもなりかねないから……夢の中ではトイレを欲し、みつけることができても「安心して気持ちよく用を足すこと」を妨げようとする演出が加えられているような気がする。
一見オカシな夢には、なにか理由が隠されているケースも少なからずあるのだと思う。

虫屋さんたちが《珍種の昆虫をみつけたのに毒瓶に入らない》など、最後のツメがままならない夢にも、もしかしたら何らかの理由があるのではないか?
《トイレにたどり着いたのに、用を足せない》という「トイレ覚醒」と《貴重な虫を捕まえたのに毒瓶に入らない/目が覚めてしまう》という「虫採り覚醒」はちょっと似ている気がしないでもない?

夢の中で珍虫を毒瓶に入れたものの、眺めているうちに「これはあまりにも不自然だ、絶対に夢だな」と気がついて目が覚める──というのは、昆虫採集に対する意欲があるからこそ見る夢なのだろうが、その昆虫への関心・洞察の強さが故に、夢の中でも矛盾に気づいてしまって、夢を継続する事ができなくなって目覚める→夢の中でエラー(矛盾の発覚)が起こり夢が強制終了する──ということなのだろうか?

《巨大な新種を捕まえたものの大きすぎて毒瓶に入れられなくて困っているうちに目が覚める》という夢は、もしかしたら虫屋さんの潜在願望の大きさに対してその受け皿が小さすぎて役に立たず困る──「野心的テーマ・素材をみつけても研究予算や設備が不足しがちで、立ち行かずに苦労する」というような現実の気分が反映しているのではあるまいか……などと勝手な想像が浮かんでしまったりする。

これらの解釈が当たっているかどうかは別にして……夢というのはおもしろいものだなぁ……とあらためて感じたしだい。


夢の中で解いたクイズ

だいぶ昔のことになるが、夢の中でクイズを解いたことがあった。
12個の箱の中から重さが違う1つを秤を3回だけ使ってみつけよ──というクイズだった。問題の箱が他より【重い】のか【軽い】のかが示されていなかったので難しく感じた。起きて考えているときには解くことができなかったのだが……なんと、眠っている間にインスピレーションを得て解決。目覚めてすぐに夢の中で得た答えをメモに書き残した記憶がある。当時のメモをあらためて図解してみたのが以下の画像。
直列的な文章で説明すると、ちょっとややこしいが、着想を得た時点の理解では構造全体を見渡せていたので、スッキリ感があった。