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アメンボの語源・由来に疑問

アメンボは雨ん坊!?飴ん坊?飴棒!?
アメンボはよく知られた昆虫のひとつだろう。とはいっても、特に人気があるとも思えず……生態について詳しく知っている人はむしろ少ない気もするけれど……とりあえず知名度に関してはかなり高いのではなかろうか?
「アメンボ」という名前は「雨ン坊」からきているのだろう──僕は子どもの頃からずっと、そう思い込んできた。プールや池などの水面に波紋がまばらに広がるのを見て雨が降ってきたことを知ったり、水面に波紋が広がるのを見て「雨かな?」と思ったらアメンボだった──ということがあったので、水面に波紋を広げる「雨」と「アメンボ」が僕の中では結びついていた。なので自然に「雨ン坊」なのだろうと解釈し、疑うことなくそう信じ続けていたのだ。

しかし、後に知ったところによると、【アメンボ】の語源・由来は「雨」ではなく「飴」だという。カメムシ目に属すアメンボにも臭腺があって、発せられるニオイが飴に似ていることから「飴ん坊(飴の坊)」➡「アメンボ」、もしくは体が細長いことから「飴棒」➡「アメンボ」と呼ばれるようになったらしい?
Wikipedia によると【アメンボ】の語源については《本来の意味は「飴棒」で、「飴」は、臭腺から発する飴のような臭い、「棒」は体が細長いことから。「雨」と関連付けるのは民間語源である。》と記されている。

僕が信じていた「雨ン坊」語源説(?)は民間語源(語源俗解)だというのが、通説らしい。ただ、僕にはアメンボの語源が「雨」ではなく「飴」由来だというのが、どうもフに落ちない……。
アメンボはいつからそう呼ばれていたのか知らないが……語源が「飴」由来だとすれば、最初にそう呼んだ人は、アメンボの臭腺のニオイについて知っていたことになる。
アメンボの姿は多くの人が目にして知っているだろう。しかしそのニオイを確かめた人となると、はたしてどれだけいたものか? 「飴に似たニオイがする」と知らなければ、「飴」由来の呼び名をつけることもできない。
仮に、この虫の臭腺のニオイについて知っていた人が命名したとしよう。むかし昆虫学者のような人がいて、ニオイの特徴から「この虫を【飴棒】(もしくは【飴ン坊】)と命名する」と宣言していたなら──そうした文献が残っているのなら、語源が「飴」由来だと言えるのかもしれない。しかし、それほど昆虫に詳しい人が命名するなら……はたして、この虫に「飴のようなニオイ」にちなんだ名前をつけようと考えるだろうか? アメンボの特徴は、なんといっても水面で生活していることだろう。アメンボは水面に落ちた獲物が広げる波紋によってその位置を知るらしい。広げた脚がアンテナの役割りを果たし伝わってくる波形から震動源を見極めるという。水面という特殊な環境をうまく利用した昆虫といえる──この虫の特徴から名前をつけるとしたら「飴に似たニオイ」よりも「水面」もしくは「水」にちなんだものにするのが自然ではないだろうか。アメンボは漢字で「水黽」(「黽(ボウとも読む)」には「かえる・あおがえる」の意味もある)や「水馬」と記されることもあるというが、これなら納得できなくはない。

誰もが見たことのある、水面に浮かぶ姿がお馴染みのこの昆虫に、ほとんどの人が知らない「飴に似たニオイがする」というマイナーな特徴で名前をつけるたりするものだろうか?……そんな疑問が僕にはある。
アメンボをとって食う風習でもあれば「飴のようなニオイ」に気づく人も多かったろうから「飴」由来で名付けられた可能性もあるかもしれないが……ヒトの生活と利害的な接点が薄いアメンボのニオイなど多くの人は関心が無かったろう。どんなニオイがするかなど知らずにアメンボを見ていた人の方が圧倒的大多数だったはずだ。そうした人たちの中から呼び名が生まれたと考えるのが自然であり、その場合はもちろん「飴」由来ではないことになる。
僕が子どもの頃に感じたように、《水面に広がる波紋が雨のようだ》という連想から「雨ン坊」と呼ばれるようになった──と考える方が自然な気がする。水面にアメンボが広げる波紋を見て「雨かな?」と思ったことがある人は決して少なくないはずだ。少なくともアメンボのニオイを嗅いだことがある人よりは、はるかに多いに違いない。

それではなぜ、「飴」由来が正しいとされているのだろう?
僕は根拠となる元ネタ情報を知らないので、想像だが……アメンボのことを記した古い文献に【飴棒】もしくは【飴ン坊】という表記があったからではないか?
アメンボについての最古の記述が【飴棒】もしくは【飴ン坊】となっていたなら、名前の由来が「飴」にあるという解釈がでてくるのもうなずける。
しかし前に記したよう「飴」由来の名前がつけられたとは考えにくい……。もし、古い文献に【飴棒】もしくは【飴ン坊】の表記があったとしたら……それは単に《当て字》だったのではないだろうか? 多くの人が目にするこの虫には「アメンボ」という呼び名がすでにあって、これを記録するさいに「雨ン坊」と記せば、「雨」は「ウ」とも読めてしまうから──誤読を防ぐために「あめ」としか読めない「飴」を当てたのではないか? あるいは学者(?)がこの虫について聞き取り取材をしているさいに「この虫を何て呼んでいるの?」「アメンボ──飴玉の《飴》に用心棒の《ボ》」みたいなかたちで「音」の説明があって、そのまま記録されたとか……そんな可能性だってあるかもしれない?

僕にはそんな理由で「飴」ではなく「雨」由来なのではないかという思いが捨てきれないのだが……アメンボの語源を検索してみると、ネット上には「飴」由来だとする情報がたくさんヒットする。しかし、その多くは自分でそのニオイを確かめたことがない人のもののようで、おそらく同じ情報源からの孫引き情報ではないかという気がする。ちなみに僕もニオイを確かめるためにカメムシを嗅いだことは何度かあるが(*)アメンボのニオイを嗅いだことはまだ無い。一般的にはもちろん、あるていど昆虫に興味を持っている人たちの中でもアメンボのニオイを確かめた人は、そう多くないのではないだろうか? そんな薄い情報が語源になり得るのだろうか……?

童謡『黄金虫(こがねむし)』に歌われているコガネムシはチャバネゴキブリであるという説があって、これが色々なメディアでも取り上げられて拡散したことがあったが、僕はゴキブリ説には懐疑的でヤマトタマムシ説を支持している(*)。
カマキリの雪予想(カマキリは積雪量を予知して雪に埋まらない高さに卵を産む)という俗説が科学的に証明されたかのような誤った情報が拡散して、それが広く信じられてしまったということもあった。

01ゴキブリ説3本再
02カマキリの雪予想

「アメンボ」の由来が「雨」ではなく「飴」だという話も、どうなのかなぁ……と納得しきれずにいる。どこかにあった【説】が孫引きで拡散して「それが正しい」という共通認識が生まれてしまったという可能性はないのだろうか?
とはいっても、僕も「飴」由来説を完全否定するつもりは無いし、できるとも思っていない。ただ「雨」由来の方が、なじむ気がする……今のところ個人的には、そう考えているというだけのことだ。
そもそも語源というのは、どれが正しいと言い切れないものが多いのかもしれないが……それでも、つい、あれこれ想像をめぐらせてしまうのである。


【ヒバカリ】名前の由来考
昔流行った「ピーマン」語源/震源地は僕ら?


否!青リンゴの香り/オオクモヘリカメムシ
青リンゴ亀虫!?を再び嗅いでみた ※オオクモヘリカメムシ
真・青リンゴの香り/キバラヘリカメムシ
香りはどこから?青リンゴ亀虫 ※キバラヘリカメムシ
オオトビサシガメのバナナ臭
キマダラカメムシの臭腺開口部
黄金色のコガネムシ ※童謡『黄金虫』のゴキブリ説とタマムシ説
カマキリの卵のうと積雪の関係
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糞の手紙!?〜イタチの粗相考

『いたちの手紙』と『いたちのてがみ』
01鼬の手紙&てがみ
前回《いたちの魔かけ》で、童話『いたちの手紙』に触れたが、良く似たタイトルで『いたちのてがみ』という別の児童書があることを最近知った。題名の読みは同じだが、「てがみ」の表記に漢字とひらがなの違いがある。両方の作品をあらためてまとめてみると──、

『いたちの手紙』は佐藤さとる・作/村上勉・絵の児童文学。1973年に講談社から単行本として出版され、『佐藤さとるファンタジー童話集③おばあさんの飛行機』(講談社文庫/1976年)、『佐藤さとるファンタジー全集⑫いたちの手紙』(講談社/1982年*2011年復刻)に収録されている(※1972〜1974年に刊行された『佐藤さとる全集』(全12巻/講談社)には収録されていない)。
子どものリアルな日常を舞台とする実在感のあるファンタジー作品で、内容を簡単に記すと……小学生のアキラがちょっと変わった封書(これが《いたちの手紙》)を拾ったことから物語が始まる。封書の裏(差出人欄)には幼い字で「いたちくぼのいたち」と記されていた。投函前の手紙だったことから、アキラはこの手紙をポストに入れるが、そのあと謎の手紙のことが気になってくる。「いたちくぼ」と呼ばれる場所が近くにあることを知ったアキラはそこへでかけ、初めてイタチと出会って《いたちの魔かけ》を体験することになる(これにかかるとイタチと会話することができる──というのがこの作品のファンタジー・ルール)。やはり《いたちの魔かけ》がかかる小1のカオリとの出会いがあり、《魔かけ》の秘密&なぜ、イタチが手紙(カオリが代筆)を出すことになったかなどの《謎》がだんだんと解けていく──。いたちくぼに独りっきりになったイタチがよその地域で同じ状況下にあるイタチを嫁にとる話なのだが、アキラの視点で展開する物語には、謎解き的なあじわいもあって、おもしろい作品だった。

タイトルがオールひらがなの『いたちのてがみ』は、こしだミカ・作の絵本。月刊予約絵本「こどものとも年少版」通巻404号/福音館書店/2010年。版元のサイトには「読んであげるなら:2才から」とあり、文章は少なめで絵のうったえるところが大きい。力強く躍動感あふれる個性的な絵に魅力を感じた。
内容は、おばあちゃんの家(古い木造家屋)にひっこしてきた女の子が、屋根裏に住み着いているイタチに興味を示す。女の子が初めてイタチをみた場所にチーズを置くと、翌日、チーズは消えてかわりにイタチの糞が残されていた。その形が文字(ひらがなの「つ」)にみえ、女の子はそれを「いたちの手紙」ではないだろうかと考えてイタチに手紙を書くというもの。


糞の置き手紙&ため糞のSNS!?
イタチが残していった糞を「てがみ」に例えた『いたちのてがみ』に対するネット上の反響には「イタチの糞を手紙だと思うという発想に意外性があっておもしろい」というような感想もあった。たしかに──しかし、イタチを含む動物の糞や尿には仲間とのコミュニケーション・ツールとしての意味もある(マーキングに使われる)ので、糞を「手紙」とみることは、あながち飛躍した解釈ではない。動物の糞には、何を食べていたのかとか健康状態などを示す情報も含まれているので、その主のことを知る大事な手がかりになったりもする。
人間から見ればただの排泄物だが、糞は動物にとって、その主のことを示す色々な情報が記されている……そういった意味では置き手紙といえなくもない。人間の手紙には「言葉の壁」があって文字が読める相手にしか伝わらないけれど、文字のかわりにニオイを用いた動物の「置き手紙」は、種類の壁を超えてあるていど「読むことができる」汎用性の高いコミュニケーション・ツールといえるかもしれない。
僕がかつて飼っていたフェレットは散歩中にタヌキのため糞に引きよせられたことがある。タヌキには複数の個体が同じ特定の場所に糞をする「ため糞」の習性があって、互いの情報交換の役割りをはたしているという。単発の「糞」が「置き手紙」なら「ため糞」は「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)」といったところだろうか。
フェレットの散歩では、糞にかぎらず、ニオイによる書き込みの「掲示板」があちこちにあることが感じられた。

02鼬漫画目線SP再
『ふぇレッツ・ゴー』グランジ目線で散歩:編より⬆
去勢していないノーマル・フェレット♂・グランジによるマーキング⬇

※枝をまたぐようにして尿をつけている。

イタチの糞:フェレットの粗相考
イタチの糞はただの排泄物ではない!?──という実感は、以前フェレット(家畜化されたイタチ科の動物)を飼っていた時に実感していた。

僕が飼っていたフェレットは基本的にはトイレを設置した場所で用を足していた。
ところが室内で遊ばせているとき、何かの拍子に(?)部屋の隅でしてしまうことが、たま〜にあった。人間からみれば「粗相」ということになる。
フェレットフードの効果なのか……フェレットの糞は意外なほど臭くない。猫や犬の糞に比べたら全然余裕(?)なのだが、それでもソレを室内に放置しておくわけにはいかない。トイレ以外の場所でやってしまった時は、もちろんすかさず回収するのだが、きれいに拭き取ったつもりでもニオイがわずかに残っているのだろう、一度粗相をすると、連日続けざまに同じところでする傾向があった。
一度粗相をすると繰り返す可能性があるので、そんな時にはちょっと「困った」ものだ。

ところで、フェレット好きの人であっても、トイレ以外の場所で「粗相」をされると怒る人は少なからずいるらしい。僕は粗相で怒ったことはない。僕が「困る」のは粗相をされたからではなく、その始末をするさい、フェレットに対して、ちょっと後ろめたさを感じてしまうからだ。

「粗相」というのは人間側が言うことであって、実際のところ、フェレットは「うっかり、そこでしてしまった」わけではない。フェレットなりの理由があって、わざわざそこを選んで糞をおいたと考えるのが正しい。
それが証拠に(?)したばかりの糞を撤去するとき、フェレットは申し訳なさそうな顔をしてはいない。
「俺がせっかくここにしたのに……。したそばから、どうしてわざわざ撤去するかなぁ」と、ちょっと非難めいたまなざしで見上げていたりする。フェレットのヒンシュクを感じてしまい、糞の撤去には後ろめたさがつきまとうのである。

『小動物ビギナーズガイド フェレット』(大野瑞絵・著/誠文堂新光社・刊)には、靴の中に糞をされたというエピソードが紹介されており、笑ってしまったが……ありそうなことだ。知人のフェレットでは足拭きマットでニオイつけをするコがいた。また、フェレットには靴下好きなコが多い──これらはニオイに反応してのことだろう。

いわゆる「粗相」──トイレ以外のところでする排せつには「飼い主(仲間?)のニオイのあるところには自分のニオイも仲間入りさせておきたい」というような社交的な(?)自己主張の意味があるのではないかと僕は考えている(排他的な縄張りマーキングの逆)。
飼い主のニオイのあるところに自分もニオイ参加する……これはSNSへの書き込みや、飼い主のニオイに応じたコメントみたいなものではなかろうか? それをいきなり削除したりブロックしたら、好意を持ってニオイ書き込みをしたフェレットに対してかなり失礼なのではないか……糞の撤去やニオイ防止措置は、着信拒否のような行為ではないかという気がしないでもない。
しかし結局そこは人間の都合で撤去してしまう事になるわけなのだが……僕としては、やはり、ちょっと心苦しい。

家畜の歴史の長い犬は飼い主の顔色を読んで「粗相」をするとしゅんとするらしい(腹いせに「粗相」をすることもあるらしい?)。それを卑屈といってはかわいそうだが、僕は粗相をしても撤去する人間に対して、堂々と「なんだかなぁ」と不満げなまなざしで見上げるフェレットの方が好きなのである。

ちなみに、フェレットの本当の意味での「粗相」とは……愛鼬と一緒にお風呂に入ったら、湯船の中にぷっかり……コレであろう。
ちなみに、これは聞いたよくある話。僕の体験談ではないので、誤解なきように。


(※最後の項目「フェレットの粗相考」は、Yahoo!ブログを始める以前にfreemlに書いていた日記に加筆したもの。freemlもYahoo!ブログ同様、今年の12月で終了する)


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《イタチの魔かけ》と《鼬の目陰》

《イタチの魔かけ》とは?@いたちの手紙
01鼬の手紙他
《いたちの魔かけ》というのは佐藤さとるの童話『いたちの手紙』に出てくる言葉で、イタチが後脚で直立し前脚を目の上にかざすしぐさのことだ。作中ではイタチが人に魔法をかけるときのポーズということになっており、この《いたちの魔かけ》がうまくかかる人は、イタチと会話ができる──という設定になっている。
『いたちの手紙』の内容をかなり大ざっぱにまとめて説明すると──開発で数を減らし、1匹になってしまったイタチが、他の地域で同じ状況下のイタチを嫁にとる話である。その橋渡しをするのが《魔かけ》がかかる人間で、タイトルにある手紙は《魔かけ》でイタチと友だちになった少女が代筆したものだった。ポストに投函されるはずだったこの手紙をアキラという少年が拾ったことから物語は始まる。この物語はファンタジーだが、アキラの視点で「奇妙な手紙」の謎から、《魔かけ》の秘密、ことの真相が明らかにされていく展開は、ちょっとミステリー風の味わいもあっておももしろい。僕が好きな作品の1つである。
さて、謎解き役(?)のアキラが初めてイタチに出会い、《魔かけ》をかけられるシーンは、こんなふうに描かれている──、


 その生きものは、アキラと目が合っても、平気だった。それどころか、とても変わったことをした。
 ふいに後足で立つと、右手を、いや右の前足を、目の上に持っていって、遠くからアキラを眺めた。ちょうど、アキラに向かって、「敬礼」をしているようだった。そのとたん、どういうわけか、アキラは思った。こいつはやっぱりいたちだなって。
 そう、やっぱりいたちだった。こんなふうに、いたちが後足で立って、片っぽの前足を目の上にあげて見ることを、「いたちの魔かけ」という。つまり、いたちが人に魔法をかけようとするときは、こういうふうにするんだね。(佐藤さとるファンタジー全集⑫収録版『いたちの手紙』より)


僕が『いたちの手紙』を読んだとき──もうだいぶ昔のことだが、この《いたちの魔かけ》と呼ばれる言い伝えは本当にあって、作者はこれをヒントにイメージを広げ、このストーリーを考えたのだろうと思った。作中には、次のような記述もある。

昔の人は「いたちの魔かけ」を、大変きらった。縁起がわるいと思っていたんだ。いたちにこれをされると、きっとよくないことが起きるなんて、思いこんでいたみたいだね。
 ほんとうは、そんなことないんだ。いたちが、よくないことを起こすのではなくて、よくないことが起こりそうなとき、いたちは「魔かけ」をして、人間に知らせようとすることがあるんだ。(同『いたちの手紙』より)


実際に忌み嫌われるイタチの言い伝えがあって、それは誤解なのだと説いているような文章だ。そんな《いたちの魔かけ》に興味を覚えて、調べてみようと思ったこともあったのだが……当時は、この言葉に関する情報はみつからず、作者の創作なのだろうかと首を傾げていた。佐藤さとるはファンが多いから、『いたちの手紙』を読んで《いたちの魔かけ》という言い伝えが実際にあるのか気になった人もきっと少なからずいたのではないだろうか?
それからだいぶ後になって、《鼬の目陰(まかげ)》という言葉を知って、これが《いたちの魔かけ》の元ネタだったのかと合点がいった。
《目陰(まかげ)》というのは字面から想像がつくように、目の上に手をかざして直射日光をさえぎる──見る時に目に陰を作るしぐさのことだ。イタチが立ち上がってこんなポーズをとるという俗信があるらしい。
『日本史のなかの動物事典』(金子浩昌・小西正泰・佐々木清光・千葉徳爾/東京堂出版/1992年)という本には「飯綱・鼬 いいずな・いたち」という項目があって、《鼬の目陰(まかげ)》についても触れられている。


 イタチはイイズナとはちがって人里近くに棲息し、ネズミ類を捕食して生活する益獣である。しかしながら、その姿が細長で耳が立ち、しばしば後肢と尾を利用して人間のように立ち上がり、短い前肢をかざして相手の様子を観察する。これを「イタチの目陰(まかげ)」といって人間のしぐさによく似ているので、何か魔性のものがのりうつっているかのように感じられて、不吉な予感をもって見られた。『源氏物語』や『源平盛衰記』の中にもすでにこのことが記されており、現在でも山仕事・旅行などの出発時に、イタチが道を横切ることがあると、「イタチの道切り」と呼んで、前途の幸不幸の前兆とみる土地もある。(『日本史のなかの動物事典』P.3)

《いたちの魔かけ》と《鼬の目陰(まかげ)》は響きも似ているし、仕草も似ている。縁起が悪いものとして捉えられていたという部分も合致する。語源は同じと見てよいだろう。
『全国妖怪事典』(千葉幹夫・編/小学館/1995年)では神奈川県(佐藤さとるの地元)のカテゴリーに【イタチ】の項目があり、次のような興味深い記述がある。


イタチ 動物の怪。鼬。イタチはよく後ろ脚で立って振り向いて、人の顔をシゲシゲと見るという。この時眉毛を読まれると騙されるから、鼬に会ったら眉に唾をつけるとよいという(鈴木重光『相州内郷村話』)。(『全国妖怪事典』P.74)

これは《鼬の目陰(まかげ)》のことだろう。このしぐさによってイタチが人の「眉毛を読む」というのが興味深い。「眉毛を見て心を読む」というようなことだろうか? 《鼬の目陰》によってテレパシーが使えるようになるということなら、《いたちの魔かけ》で人とイタチがテレパス状態になるという設定は、まさにピッタリである。
《鼬の目陰(まかげ)》でイタチが眉のあたりに前脚をかざすのには、相手の眉毛を読むことと何か関係があるのかもしれない。
よく怪しげな話を聞かされたとき「眉に唾をつける」とか「眉唾」などと言うが、眉に唾をつけるのは「眉毛を読まれないように」(だまされないように)という言い伝え由来だったとは、この本を読むまで知らなかった。

『いたちの手紙』にでてくる《いたちの魔かけ》が《鼬の目陰(まかげ)》のことだというのは、おそらく間違いないところだろう。これを「イタチが魔法をかけるときの仕草」としてとらえるなら《いたちの魔かけ》という呼び名の方がふさわしい。そう考えた佐藤さとるが《目陰》を《魔かけ》と翻案したのか、あるいは《鼬の目陰》を《いたちの魔かけ》とよぶ地域が実際にあってそれにならったのか……それとも佐藤さとるが《目陰》を《魔かけ》と聞き違えて覚えていたことで、《魔かけ》➡《魔法をかけるしぐさ》という着想につながったのか……そのあたりのことはわからない。
いずれにしても、《鼬の目陰(まかげ)》という言い伝えが『いたちの手紙』の着想もしくはイメージを広げる手がかりになっただろうことは想像できる。


アズキとぎと『霜夜の鼬』
『いたちの手紙』の誕生には、もうひとつ、ある童謡がかかわっているという。作中でイタチが歌う──イタチがアズキをといで赤飯をたくという内容の童謡だ。佐藤さとるが小学2年生の時に1度だけ教わったというウロ覚えの歌詞が作品の中にでてくる。執筆時にはあやふやだった歌詞や失念していたタイトルが、『いたちの手紙』(講談社/1973年)の出版後に判明したことが『佐藤さとるファンタジー全集⑫いたちの手紙』収録の表題作末尾に《付記》として記されている。出版後、作中の歌詞には間違いがあることがわかったが、うろ覚えに覚えていた(間違った)歌詞が、この作品のモチーフであったことから、作品のイメージを大事にしたいという理由で作中の(間違った)歌詞はそのままにしてあるという。
作中のイタチが、勘違いして(?)間違った歌詞で歌っていたとしても、作品としては(整合性に)何ら問題ない。
この《付記》によれば、問題の童謡は野口雨情が作詞した『鼬の小豆磨ぎ』ということになっているのだが……検索してみると『霜夜の鼬』(作詞:野口雨情/作曲:中山晋平)というタイトルでヒットする。


霜夜の鼬
作詞:野口雨情/作曲:中山晋平

霜夜(しもよ)のしのやぶ 霜(しも)でサーラサラ
ザクリ ザツクリ ザツクリシヨ
鼬(いたち)が小豆(あずき)を といだとさ

寒いぞ寒いぞ 霜夜のしのやぶ
ザクリ ザツクリ ザツクリシヨ
鼬が おまんま たくだとさ

小豆を とぎとぎ ザクリ ザツクリ ザツクリシヨ
おまんま たきたき ザツクリ ザツクリシヨ
霜夜のしのやぶ ザツクリ ザツクリシヨ
赤のおまんま 小豆のおまんま
鼬が 小豆を といだとさ


佐藤さとるは歌詞の「イタチがアズキをといで赤飯をたく」という内容から、「赤飯をたく」➡「めでたいことのお祝い」➡「イタチの嫁取り」というストーリーを考えたのだろう。『いたちの手紙』としては合点の行くところだ。
しかし、『いたちの手紙』という作品を離れて『霜夜の鼬』の歌詞を考えると、ちょっと不思議な気もする。捕食性のイタチとアズキ磨ぎにどんな関係があるのだろうか?

実は、人気の無いところでアズキをとぐ音がする──という伝承はよくあり、「アズキトギ(小豆とぎ)」という妖怪のしわざだとされる。これについて『決定版 日本の民話事典』(日本民話の会・編/講談社/2002年)には次のように記されている。


【アズキトギ】
 夜、川べりや橋のたもとなどの水辺の暗いところで、ザクザクとアズキを洗うような音をたてる妖怪です。分布は九州から東北まできわめて広く、その音はほぼきまっています。「アズキとごうか人食おうか、ゴシゴシゴシ」とか、「お米とぎやしょか人とって食いやしょか、ショキショキ」と聞こえると言われています。(P.288)

 アズキトギの正体を、むじなやイタチだとしているところもあります。毛をコシコシこする音だというのです。ガマだという地方もあります。(P.289)

アズキは正月など特定の祝日、神祭りの食べ物として重要視されただけでなく、不祝儀にも用いられました。霊力を持つ食べ物と考えられていたことが、こうした妖怪の背景にあるのかもしれません。(P.289)


アズキトギの正体についてイタチだとする地域がある──野口雨情は、これをヒントに『霜夜の鼬』を書いたのではないか?
この歌詞がどのように生れたのかを想像してみると……《霜柱を踏む音とアズキをとぐ音が似ている》と感じた野口雨情が、《霜夜にアズキをとぐ者がいる》という不思議な状況をイメージし、それではアズキをといでいるのは誰が何のために?(童謡にするには何がふさわしいか)──と想像を膨らませて《(アズキトギの正体とされる)イタチが赤飯をたくため》という解釈を思いついたのではなかろうか──というのが僕の推理するところ。
ちなみに、アズキトギ・アズキアライと呼ばれる妖怪の正体については、イタチやムジナ(アナグマ※これもイタチ科)の他にも、カワウソ(※これもイタチ科)やタヌキ・ガマ(ヒキガエル?)・老婆の妖怪(小豆婆)などの言い伝えがあるようだ。

余談だが……作詞:野口雨情/作曲:中山晋平のコンビといえば、コガネムシを金持ちに見立てた童謡『黄金虫(こがねむし)』も、ちょっと不思議な作品だ。コガネムシが立てた金蔵とはいかなるものか? この作品については描かれているのはコガネムシではなく、チャバネゴキブリだという説がある。ゴキブリ説は色々なメディアで取り上げられいて、ちょっとしたウンチクになっている。しかしこれはヤマトタマムシだという説もあって、僕はタマムシ説を支持している。コガネムシが立てた金蔵(かねぐら)というのは玉虫厨子のことで、野口雨情は玉虫厨子をタマムシ(コガネムシをそう呼ぶ地域がある)の金蔵にみたてて、この作品を書いたのではないかと僕は思っている。「《玉虫厨子》を《タマムシの金蔵》にみたてる」という着想・創作プロセスは「《霜柱を踏む音》を《アズキとぎの音》にみたてる」という着想・創作プロセスと似ている……野口雨情はこうした連想や見立てからイメージをひろげて作品を創作していたのではないか……と思ったりもするのだが……もちろん、これは僕の個人的な想像。作品がどのようにして誕生したのか──何がきっかけ・ヒントになって、どのようなプロセスで作品ができあがっていったのかということには興味があるので、つい、あれこれ想像してしまう。


イタチの目陰(まかげ)帽子!?&いたちマジック
『いたちの手紙』からは離れるが……《目陰(まかげ)》がまぶしい太陽の光をさえぎるためのものだとすれば、帽子のつば(日よけ)が、この役割りを果たしている。つば付き帽子は目陰(まかげ)帽子といってもおかしくはないだろう。とすれば、フェレット(家畜化されたイタチ科の動物)のフィギュアをつばに乗せたフェレット散歩用の帽子は「イタチの目陰(まかげ)帽子」と言えなくもない。
02鼬の目陰帽子
僕が飼っていたフェレットは直立して前脚を額にかざす《魔かけ》こそしなかったが、前脚をかざして僕が握った物を消すというマジックをしていた!?

魔法ではないが……魔法もどき(?)なエピソードは色々あって……イタチ科の動物は迷信が生まれやすかったのではないか……という気がしないでもない。
03鼬漫画迷信編A

04鼬漫画迷信編B


05超魔術鼬C
『ふぇレッツ・ゴー』イタチと迷信!?:編より⬆

『ふぇレッツ・ゴー』超魔術イタチ:編

黄金色のコガネムシ ※童謡『黄金虫』のゴキブリ説&タマムシ説
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『ゼロの焦点』タイトルの意味

謎めいたタイトル『ゼロの焦点』の意味
ゼロの焦点@松竹
邦画『ゼロの焦点』(監督:野村芳太郎/脚本:橋本忍・山田洋次/松竹/1961年)を観た。言わずと知れた松本清張の同タイトル推理小説を映画化した作品。テレビを離脱する以前にWOWOWで放送されたものをDVDに録画していたのだが、それを久々に鑑賞してみたしだい。『ゼロの焦点』は松本清張自身も気に入っていた作品だそうで、これまで何度も映像化されている。僕が観た松竹1961年版は、主人公が夫の殺害現場である断崖絶壁で犯人と対峙し謎解きを語る見せ場(?)が説明的でスマートではない気もしたが……「葬り去りたい過去の秘密を持つ人たち」によって引き起こされた殺人事件という作品の意図(着眼)や筋書きは面白いと感じた。内容は込みいっていて感想を記すには行数を要すし、作品評はすでに多くの人がしていると思うのでここではスルーして……今回は作品の内容についてではなく、タイトルについて取り上げてみたい。

『ゼロの焦点』──このタイトルの意味するものは何?
小説にしろ映画にしろ、この作品を読んだり観たりした人の多くが抱く疑問ではあるまいか?
謎めいたタイトルであっても、読んだ(観た)後に「なるほど!」と合点がいくのが本来ならば理想のタイトルというものだろう。しかし、『ゼロの焦点』に関しては作品を鑑賞したあとにも、そのタイトルの意味するところが釈然としない。作品の内ではきれいに謎解きがなされているけれど、タイトルの謎は残されてままだ……。

有名な作品だし、興味を引くタイトルなので、その由来については明らかにされているだろうと思ってインターネットで検索してみたのだが……ヒットする「解釈」は、どれもピンとこない。『ゼロの焦点』の明確な由来はわからずじまいだった。
松本清張の作品には他にも『波の塔』や『水の炎』など抽象的なタイトルが存在するが、こうした抽象度の高いタイトルについて清張自身が時間稼ぎの苦肉の策(?)だといようなことを語っているそうな。雑誌への連載が決まっていて作品の内容が固まっていない場合──とりあえずタイトルだけは先に決めておかなくてはならない状況(予告号のタイトル〆切は実際の作品の〆切りより早い)で、どのようにも解釈できる抽象的なタイトルにしておけば、作品を考える時間稼ぎができる──ということらしい。
『ゼロの焦点』もそのような曖昧さをもつ「あまり意味の無いタイトル」だったのではないか──というような説(?)もあって、僕が目にした中では、これが一番「そうかもしれないな」と思える解釈だった。

『ゼロの焦点』というタイトルがどのようにして決まったのか、清張自身がどこかで明言していてもよさそうな気もするのだが……僕はその情報を知らない。そこで、僕なりの推理を記してみたい。あくまでも僕の思うところであって、これから述べる解釈が正しいかどうかはわからない。

タイトルの意味を考えるにあたって、『ゼロの焦点』の内容についてチラリと触れておくと──、


主人公は新婚間もない鵜原禎子(久我美子)。夫の鵜原憲一(南原宏治)は見合いで知り合った大手広告会社のエリートサラリーマンで、結婚を機に金沢出張所から東京本社営業部に栄転──二人は東京に新居を構える。結婚して一週間目、憲一は禎子を東京に残して、仕事引き継ぎのため最後の金沢出張に出かける。ところが、憲一はいつまで経っても戻ってこない……というところから事件が展開する。謎の失踪をとげた夫を追って禎子は初めての北陸の地を踏む。夫の足取りを追っていくうちに、憲一は禎子と結婚する以前に、出張先で曽根益三郎という偽名を使って内縁の妻・田沼久子(有馬稲子)と暮らしていたことがわかる。憲一はその虚構の生活を隠蔽・清算をするために曽根益三郎(偽名の自分)の自殺を擬装しようとするが、実際に(憲一が)殺害されてしまっていたのだ……。

ところで、『ゼロの焦点』は連載開始当初のタイトルが『虚線』だったという。こちらは『ゼロの焦点』に比べれば、ちょっとわかるような気がする。「実線」に対する「虚線」という意味だろう。
その人がたどってきた人生の軌跡を「実線」とするならば、偽名を使って生きた虚構の軌跡は「虚線」と言える。鵜原憲一(実名)が禎子と暮らした東京でのくらしを「実線」とするなら、曽根益三郎(偽名)が田沼久子と暮らしていた虚構の軌跡は「虚線」というわけだ。また、禎子がたどった夫の足取り──虚構の人物・曽根益三郎の軌跡を「虚線」とみなすこともできる。
あるいは、実際に確かめられたストーリーを「実線」とするなら、禎子が想像(推理)したストーリーを「虚線」とみることもできるだろう。この「虚線」は展開の中で移ろい違った様相を見せていくことになる。

というように『虚線』というタイトルであれば、観終わった(読み終わった)あとに、「そういう意味だったのか」と思い当たらないでもない。ただ、『虚線』という単体の単語は、タイトルとしては、ちょっと弱い……。
そこで清張は、連載メディアを変更したさいに、もっと気のきいたタイトルに差し替えようと考えたのではないか……。創作をしたことがある人ならわかるだろうが、書き進めている作品タイトルの善し悪し(気に入っているか否か)は創作意欲にも反映する。タイトルなんて作品を書き上げたあとに決めてもよさそうなものだが、とりあえず仮にでもタイトルを決めておかないと気持ちよく書き出せない・書き進めにくい──という人は多いはず。タイトルをつけることによって作品のイメージが明確化し描きやすくなるからだろう。

松本清張の抽象度が高い作品タイトルを見ると『波の塔』『水の炎』『点と線』『壁の眼』『蒼い点描』『砂の器』『球形の荒野』など複数の単語で構成されたものが多い。『虚線』もこれにならって変更するなら……「虚線」をたどって事件の真相に近づいていく禎子の行動は「虚線をフォーカス」することと言えなくもない。「フォーカス」で絞られるのは点であるから、線はなじまない……とすれば「虚線」ならぬ「虚点」だろうか? 「虚点のフォーカス」というような方向でタイトルが検討されたことがあってもおかしくはないだろう。清張の感覚で言えば「フォーカス」より「焦点」がなじむ。しかし「虚点の焦点」では「点」が重複する。そこで「虚点」=「虚しい点」を「ゼロ」に置き換え、「ゼロの焦点」というタイトルに到達したのではないか?
正確なプロセスはわからないが、いずれにしても、タイトルとして見た場合、『ゼロの焦点』の方が『虚線』よりも響きは良いし、謎めいたニュアンスが強まる。読み終わった読者(観終わった観客)にはわかりづらいうらみはあるものの、総合的に判断してキャッチの良い『ゼロの焦点』を採用したのではないか──というのが僕の推理なのだが、真相はどうだったのだろう……。


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