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キアイを入れれば見える!?空目色々

01空目鼬巻き

空目とは…「聞き做(な)し」ならぬ「見做し」
僕は【空目】を「キアイを入れて見れば、見做(みな)せるもの」という意味で使っている。これはタモリ倶楽部(テレビ朝日の番組)の《空耳アワー》というコーナーで使われる「空耳」に対して──聴覚現象を視覚現象に置き換えて「空目」と呼んだもの。造語のつもりで使っていたが、既存の単語らしい。検索してみると【空目】には「①実際にはないものが見えたような気がすること。②ひとみを上にあげて見ること。うわめ。③見ていながら見ないふりをすること。」という意味があるという。
ちなみに【空耳】の方の本来の意味は「①声や音がしないのに、聞こえたような気がすること。②聞いても聞かなかったふりをすること。」──しかし《空耳アワー》の登場以降、新たな概念が加わった気がする。
《空耳アワー》のキャッチフレーズは「言われてみれば確かに聞こえる」。外国語で歌われている曲の中に「日本語に聞こえる」部分がある──これを番組では「空耳」とよび、視聴者から投稿された空耳歌詞をもとに作った映像を原曲に合わせて放送するというコーナーだった。
第1回空耳アワード(1993年)に選ばれた、ジプシー・キングスの『ベン、ベン、マリア (Bem, Bem, Maria)』などは、曲の歌い出しから「あんたがた ほれ見やぁ 車ないか……こりゃ まずいよ」と聞こえ──1度こう聞こえてしまうと、もう日本語の歌詞にしか聞こえないという名作空耳であった。
このように《空耳アワー》では、「外国語の歌詞(本来の言葉・文章)」が「日本語の歌詞(別の言葉・文章)」に聞こえるという──つまり《本来とは別のものに聞こえる》という現象を【空耳】と呼んできた。
当初は意図せぬ「聞き違い」「聞き間違い」をおもしろがるコーナーだったものが、しだいに「空耳」を積極的に探す──外国語のフレーズを別の意味に「聞き做し(ききなし=動物の鳴き声、主に鳥のさえずりを人間の言葉に、時には意味のある言語の言葉やフレーズに当てはめて憶えやすくしたもの)」するという形に変わっていった気もする。
この「空耳」すなわち《別のものに聞こえる》《別のものに聞き做(な)せる》という聴覚的現象を視覚的現象に置き換え、《別のものに見える》《別のものに見做せる》ことを「空目」と(僕は)呼ぶことにした。そういう意味合いで僕は【空目】という言葉を使っている。

擬態:敵の視覚錯誤をさそって生存率を高める空目
天敵の視覚錯誤をさそって「エサではないもの」に誤認されれば生存率が高まる──そんな生存戦略の中で精度を高めてきたのが「擬態」だろう。身近な昆虫のなかにも、あっぱれな擬態を獲得したものがいる。
02ホソヘリカメムシ幼虫
03アカエグリバ
ホソヘリカメムシの幼虫は形も大きさもアリそっくり。アカエグリバの枯葉っぷりも見事としか言いようがない。擬態する昆虫はけっこういて、これはほんの一例。天敵の「空目」が作った(進化させた)姿ということもできるだろう。

顔に見える空目
一方、「本物ではないことは明白ながら、それ風に見える」という空目がある。模様や形が「顔に見える」という空目現象はありがちだ。昆虫でも、いわゆる人面虫は多い。
04松縁亀虫ラミー天牛
マツヘリカメムシは菱形の白縁メガネをかけた顔に見える。ラミーカミキリは、気合いを入れればタキシード姿のキョンシー風に見えるし、アカシマサシガメは合掌したお地蔵さんに見える。
05赤縞刺亀空目地蔵
他にも人面昆虫は多い。昆虫ではないが、クモにも「顔に見える」ものがいる。
06女郎蜘蛛美女鬼蜘蛛
ジョロウグモは腹の腹面が顔に見える。ビジョオニグモは腹の背面がヒゲをはやしたオッサン顔に見える。

文字に見える空目
「顔に見える」というのはありがちな空目だが、その次に見えやすいのが「文字」ではなかろうか?
07東京虎天牛針刺亀
トウキョウトラカミキリの背中には TokyoTora の頭文字の「T」(イカリ模様)がある。頭を下にとまっているハリサシガメの背中のもようは「ハ」に見える。
文字は記号として認識されていて、書体の違いや手書き文字で多少形が崩れていても読み取れることから、空目としても拾いやすいのだろう。

文字がほかのものに見える空目
空目としても拾いやすい文字だが、その文字自体が別のものに見えてしまう空目もある。
08文字空目ゆをぷ。
文字や記号を組み合わせることで「空目」を作ったものが「顔文字」や「orz」(手と膝をついてガックリ頭を垂れた姿を表す)」などのアスキーアートということになるのだろう。本来の記号や文字の意味とはまったく別の視覚上の意味を空目に持たせたものだ。

ダジャレの視覚版としての空目
「聞き做し」(動物の鳴き声、主に鳥のさえずりを人間の言葉に、時には意味のある言語の言葉やフレーズに当てはめて憶えやすくしたもの)を、人の言葉にもあてはめ、意味をかけたものが「ダジャレ」という気もする。聴覚的には韻を踏んだりイントネーションを重ねて意図的に作る──《作意的な空耳》と言えなくもない。
このダジャレの視覚版──《作意的な空目》として、文字や記号をデフォルメして空目できるようにして意味をかけて作った例が⬇。
09空目年賀
年賀ブログで使った画像から(卯<うさぎ>年申<さる>年酉<とり>年戌<いぬ>年亥<いのしし>年)。賀詞や十二支・年号などの文字や数字を使って動物の姿を空目誘導しようと謀ったもの。かなり強引なデフォルメだが……キアイを入れて見れば、「見える」ハズ!? 文字(賀詞)の中に十二支の動物名(文字)を空目サーチャーして見つけたもの(子<ねずみ>年)もある。
10ネズミ@初春
昆虫を見ながら鍛えた空目力のなせる技であろうか!?



フォト怪奇譚『樹に宿る眼』
蟻えないほど似てる虫!? ※ホソヘリカメムシ
アカエグリバ&ヒメエグリバの枯葉擬態
マツヘリカメムシ:卵・幼虫・成虫
ラミーカミキリ@武蔵野
タキシード天牛・虹色葉虫ほか ※ラミーカミキリ
ぷち地蔵なアカシマサシガメ
ヒゲづらの王様!?人面蜘蛛 ※ビジョオニグモ
TokyoToraカミキリの模様
ハリサシガメぷちまとめ2
空耳ならぬ空目アワー
空目広告と空目昆虫:遠目空目と近目空目
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空耳ならぬ空目アワー

空耳ならぬ空目アワー

言われてみれば確かに見える…かもしれない、空耳ならぬ空目あれこれ。
キアイを入れれば見える…ハズ!?
まずは、以前もネタにしたものからいくつか……。


※左から、ビジョオニグモ/アカシマサシガメ/エサキモンキツノカメムシ(幼虫)/マツヘリカメムシ
ホントにいる!?リアルこびと虫づかん
仮面虫…かめn虫…カメムシ
仮面虫!?…かめn虫…カメムシ 第2弾!
人面虫・奇面虫

書かれていないものが見える!?



本来の文字の意味とは無縁なものが「見えて」しまう。失意体前屈=orz や顔文字などは空目を積極的に利用したものといえるだろう。
文字がひしめく紙面の中に【空目】が見えてしまうこともある。最近ではこんなものがあった。


文字列の中に、別の意味を読み取ってしまうことも……。


ちなみに【ウスバカゲロウ】は昆虫で、幼虫のアリジゴクの方が知られているかもしれない。【アホロートル】はトラフサンショウウオ科の幼形成熟個体のこと。通称ウーパールーパー(アルビノのメキシコサラマンダー)が有名。

カナは区切る箇所を間違えることで空目が発生するが、漢字の場合は読み違えると別のモノが見えてくることがある……。


なんで こんなところに T-1000が!?



こうなると、妄想的空目!?

さらに以前、日本語字幕スーパーの番組を見ていたとき、こんな空目現象も……。


※詳しくは→アナログ放送の空耳?字幕

人面虫の「空目」解説(私見)

虫が人の「顔」や「姿」に見えたりするのは面白い。

「そう見えてしまう虫の模様がおもしろい」と感じると同時に、
「そう見えてしまう自分の知覚(?)がおもしろい」とも思う。

虫が木の葉や枝片、ときにはハチなどの危険生物に姿を似せ、敵の目をあざむくことで身を守る──【擬態】はよく知られた現象だ。
生存率を高める(生存率が高いものが生き残ることでその特徴が顕著化した)進化の賜物だろう。

しかし冒頭の人面虫が「それらしくみえる」というのは【擬態】とは事情が異なる。
これらの虫を見て全く大きさが異なる人間と間違え、見逃してくれる天敵などいやしまい(生存率上の意義はない)。これは意味があって【擬態】しているのではなく【偶然そう見えるだけの事】──と考えるべきだろう。

つまり人面虫たちが「そう見える」のは、虫たちの【進化(擬態)】次元のハナシではなく、ヒト側の【認知】に由来する問題ととらえるべきだ。
本来、似せる意味などない偶然の模様や形の中に「顔」を見てしまうのは人間側の錯誤であって、「こんなものでも、(あるはずのない)顔にみえてしまう」というヒトの【認知】のおもしろさ──である。

写真に写った景色の一部(模様)が顔に見えたりして「心霊写真」なんて騒がれることがあるが、これも同じような現象なのだろう。人の認知の誤作動(?)が、意味のない模様の中に意味を持たせてしまう……。

以前、脳こうそくで脳の一部に損傷を受け「人の顔の識別」ができなくなった人の事がテレビで紹介されていた。その人はごく普通に会話しており、外見はまったくの健常者に見えたが、人の顔が判らない。見せられた顔写真をのぞきこみ、そこに写っている人物の髪型、歯の形、目尻のシワなど、部分部分はハッキリ認識できているにもかかわらず、それが自分の顔であることさえ判らなかった。

脳の一部が損傷を受けたことで人の顔が識別できなくなったということは、脳の中に顔を識別する特別なシステムのようなものがあるのだろう。

考えてみれば、人が網膜上に映った像の中から人の顔を瞬時にピックアップできたり、それが誰なのか、さらに怒っているのか笑っているのか、泣いているのかさえ判断できてしまうのは、ものすごいことだ。社会性動物であるヒトがコミュニケーションに不可欠な要素として発達させて来た認知能力なのだろう。
その強力な《顔サーチ・システム》がときに誤作動(過剰反応?)を起こし、我々に心霊写真や人面虫を見せてくれるのだろう。

普段は気にもとめない《顔サーチ・システム》だが、はからずしも実感することができるのが、先にアップした画像のような虫を目にした時である。

虫を見て何かを感じる時、自分の何が反応しているのか……そんなことを発見したり考察できる時でもある。

昆虫の【擬態】も面白いが、人の【認知】のシステムもおもしろい。

追記:脳が見たものに意味を持たせたがるのは…

「空目」現象について説明した記事を読んだ。


「パレイドリア効果」という言葉は初めて知ったが、その解釈に特に目新しさや、特段の説得力は感じなかった。

脳が見たものに意味を持たせたがるのは、見たものを自動的に記憶する際のカテゴリー整理のためではないかと思う。脳は見たものを整理し、あとで思い出す(再生する)際のタグづけをするために、脳内ライブラリに整理されている該当情報を検索してそれに結びつけるカテゴライズ作業を行う……これが「パレイドリア効果」を生むのだろう──そんなふうに考えた。